排便ショック
2014年01月03日
浣腸に戻した & 自己流介助 (・_・)
昨年の年末から腰痛が悪化。なかなか改善しなくて焦っていた。だけど、ようやく回復している。でも、まだ寝起きに腰が重たいけど。一時はどうなるかと思った。
腰痛の原因は、母をベッドから車椅子に移乗する時。介助がなかなかうまく行かない。理学療法士さんに何度か指導してもらったものの、余計に腰が悪くなった。ど~~してもうまく行かない・・。結局、自分で痛くないような方法を模索。腰に負担をかけないよう、両腕で母を持ち上げ、スライドさせる・・という力技になった。今度は腕がやられるかも?
これも年末からだけど、胃ろうから微量の出血が起きていた。日中の出血はなく、夜間に出血している。見たところ肉芽はなく綺麗な状態。奥に肉芽があるのかもしれない。ゲンタシン軟膏を塗っていたところ、今朝は出血がなかった。今後も様子見。
更に、これも年末からのこと。右足指間に皮膚割れが生じていた。これもゲンタシン軟膏を塗っていて、ようやく完治した。
昼寝を起こされ不機嫌な様子
あからさまだったので笑ってしまった
2013年11月27日
久しぶりの排便ショック (-_-)
30分以上のトイレは負担が大きいので、しないつもりでいた。排便ショックも警戒していた。顔色を確認し、額を触って体温のチェック。
30分が経過し、少量しか出ず。諦めようとした時に中量出た。ここで顔色が悪くなり、体温が低下。「排便ショックだ!」トイレを中断しベッドへ。足を高くし、体を温めて20分程度で回復。久しぶりの排便ショックだった。
便秘薬による排便が良いのか?浣腸による排便が良いのか?わからなくなってきた。やはり、母に優しいのは浣腸だよなぁ?訪問リハの看護師さんは「摘便して浣腸が良いと思う」と。
2013年06月04日
ベッドでの生活は機能低下を招く (・_・)
そんなわけで、今日から難消化デキストリンを再開。首周辺の痒みは、難消化デキストリンを中止しても発生している。頻度は減ったけど、原因はよくわからないまま・・。
そうそう、排便後にベッドへ移乗した時、軽度の排便ショックになってしまった。あと、少し遅かったら顔が青くなり、発汗していただろう。
食事の姿勢
酢(食塩無添加)のまとめ買い
しかし、今年は空梅雨だね。あ~、蕁麻疹が!もう勘弁して・・。
2012年10月21日
久しぶりの排便ショック & 自力排便の機能が低下? (-_-)
1時間ほど眠って回復
私の日記に検索で辿り着く人は「便ショック」が1位!「排便ショック」が2位・・いつもこんな感じ。「排便後 血圧低下 発汗」で検索して辿り着く人も少なくない。びっくりしたんだと思う。それだけ排便ショックになる人が多いみたいだ。排便ショックになる理由と対処法はこちらに書いてある。
排便コントロールがうまく行かない。ここ数日は、難消化デキストリン(水溶性食物繊維)と酸化マグネシウム+パントシン酸。だけど、やはりビシャビシャの便になる。どうにもならない。ラコールだけだと凄く硬い便になる。難消化性デキストリンを使えば、程よい柔らかさにはなる。しかし、自力排便はない。自力排便の機能が低下していると考えるべきか。
排便ショックは、心疾患のある母にとって命取りになりかねない。ならないようにしないといけない。母にとって、どの方法が優しく負担がないか?難消化性デキストリンを使って便を程よい柔らかさにし、浣腸を2日に1回で実施する。これが良さそうだ。浣腸より摘便の方がいいのだろうかね?今度、看護師さんに聞いてみよう。
2012年05月27日
母の前で食事はできない (-_-)
胃ろうの人を受け入れている通所介護施設。胃ろうの人の食事は、経口の人たちとは別の部屋にしたり、仕切りを設けたり配慮しているはずだ。
昨夜、母は寝汗をかいていてビックリ!体調が悪いのか?心配したけど、原因は羽毛布団だった。早速、羽毛布団をやめた。ちょっと遅かったか。そして、今日は暑いくらいの天気。日中、室温は27度とか。衣服も衣替えした。
午前中、少し排便があったけど、排便ショックになってしまった。便が硬かったのが悪かったようだ。ベッドに移乗すると、今度は軟便失禁。水分不足の便は、これで最後かもしれない。
2012年04月06日
2012年03月28日
軽度の心不全 (-_-)
看護師さんもバイタルを何回とっても、私と同様だった。血圧は80/60前後と低い。脈拍は160前後。看護師さんは「頻脈」と言っていた。「心臓が血液を一生懸命送っても、送りきれていないのだと思います。これは病院へ行った方がいいです。」私は救急車を呼ぶか?自分で連れて行くか?で迷っていた。この期に及んで「こんな夜中に救急車を呼びたくない」なんて意識が働いていた。これ、ナンセンスだって認識してたはずなんだけど・・。
夜間救急室に電話し、今夜の当番病院を教えてもらった。2ヶ所のうち、片方は凄く遠い。もう一方は、以前、右そけいヘルニア(脱腸)で入院したことがある。この病院へ電話し、受け入れ可能か聞いた。看護師さんに交代し、現在の状況を伝えてくれた。
看護師さんに「救急車の方がいいです。走行中もモニターして看護してもらえますから。」と言われて納得した。こういう時、冷静な第三者の判断の方が正しい。 看護師さんが救急車を要請し、状況を伝えた。私は、その間に保険証や紙おむつなどを準備。救急車が来て、病院へ到着したのが1時半頃。このまま命を落とすかもしれないし、入院は間違いないと思っていた。
心電図などの機器が設置され、血液検査と点滴。そして、レントゲン撮影。しばらく様子見。1時間ほど経過観察しても頻脈は変わらず。医師から説明があった。「血圧は少し良くなりましたが、脈拍は高いままです。脈拍を抑える薬を投与すると、血圧も下がるので危険です。軽度の心不全だと思われます。一度帰宅してもらい、明日、循環器の専門医に診てもらった方が良いでしょう。」
え!?このまま帰る?うそ~ん!病院に居た方が安全だと思った。「このまま帰って大丈夫でしょうか?軽度の心不全とのことですが、その軽度や重度と判断する何かがあるのですか?」「心不全のレベルを判断する検査として、BNP検査があります。この数値が200でした。重度の場合は500以上ですし、1000にもなります。そんなに心配はないと思いますが、容態が急変したら、いつでも来てください。」緊急入院の必要性がないってことのようだ。不安ながらも帰宅するしかない。
タクシーを呼んで私だけ家に戻った。そして、車椅子を車に積み込み再び病院へ。母と家に戻ったのは3時過ぎ。失禁していたので、着替えて水分補給。そして、ベッドへ寝てもらった。何度も血圧と脈拍を測って観察していた。血圧は100/80前後で、脈拍は160前後と変わらず・・。4時・・ようやく脈拍が70前後に下がった。6時・・変わらず。徹夜するつもりだったけど、フラフラしてきて2時間だけ眠ることに。
どうにか起きたのが8時半。通常の診察の受付は11時まで。昨夜、便秘薬を服用してしまっている。それまでに排便を済ませ病院へ行きたかった。朝食は、途中で眠ってしまい中止。
10時半頃に少量の排便。もう間に合わない・・。循環器内科への受診は明日にした。11時前の排便後、顔色が悪くなり冷や汗が出た。排便ショックだ! 急いでベッドに移乗。意識もうろうとして体はフニャフニャだった。足を高くし、部屋をガンガンに暖めた。
排便ショックの後(血圧が下がった)は眠る・・
就寝して23時、血圧は90/65、脈拍がなかなかとれない。パルスオキシメーターは、指が冷えていると正常に測定できない。聴診器で160だった・・。でも、息も上がってないし、脈拍のことを知らなければ通常と変わらない。う~ん、とにかく今日はこのまま様子見。明日の午前中に循環器の専門医の診察を受けよう。入院の可能性もあり・・。
2010年12月01日
便ショック→排便ショック (・_・)
母の排便時に起こることがある症状。それは血圧低下・多量の発汗・血色不良・体温低下・意識低下。非常に恐ろしい症状で、酷い時は「死んでしまうかも?」と焦ったほど。救急車を呼ぶ寸前だったこともある。今思えば、命を落としていてもおかしくなかった。
主治医によると「極度の緊張状態の時になりやすい。便を出す時に、力むことによって交換神経が緊張する。交感神経は血管を収縮させ血管は細くなり、血液量が減ってしまう。全身への血液循環が減って体温が下がってしまう。」対処方法は、「足を高くして寝かせ体を温める。血圧と体温の経過を見て、改善しなければ救急車を呼びましょう」ということだ。意識が低下している時は、水分補給もだめ。噎せてしまうから。
当初、日記では「低体温」と表現していた。でも、小規模ホームのケアマネさん(現在休養中)が「便ショックですね」と言った。「便ショック」の方がピッタリだな、と思って「便ショック」に訂正した。ところが、ネットで「便ショック」検索すると私の日記しかヒットしないことがわかった。「じゃあ、なんだろう?」と、調べると「排便ショック」が一般的な呼び方のようだ。だから、便ショック→排便ショックへ変更することにする。そして、似た症状で「排尿失神」や「起立性低血圧」なんてのもあることがわかった。
最近、母が排便ショックを起こしたのは、一ヶ月ほど前だったか。家でも小規模ホームでもあった。この排便ショックの後、母は1時間ほど昏睡する。訪問リハの看護師さんの話では、急激な血圧低下があった後は、眠ってしまうのだそうだ。酷かった時で回復に約2時間、早めの対処で1時間ってところ。とにかく早く気づいて対処しないといけない。下手すれば命を落とす可能性もあるので注意が必要。
小規模ホームでは、過去2回ほどあった。だけど、スタッフはそれが排便ショックとは気がついてくれなかった。前から排便ショックの症状と対処法、緊急時の対処法なども伝えてあったのにだ。「多量の発汗がありました。着替えをもう一枚用意してください。」なんて連絡帳に書いてあった。「その発汗は排便ショックだろ!」って思って様子を聞くと、やはり排便時だった。スタッフも排便ショックを見るのが初めてだったかもしれないけど、気づいてくれよ・・。
母の場合、便秘にならないよう排便管理が必要。過去、脱腸もやっている。堅い便も禁物。力んで排便ショックにもなりやすい。
私の日記内での「排便ショック」の記事はコチラ
夕食は、野菜のポトフ○・温やっこ○・もずく納豆ご飯○。
2010年05月23日
便ショック (・o・)
今日は排便の日。午前中、第二弾が昼前にあった。これが稀に見る特大だった。こ、これはまずいんじゃ?案の定、母の顔色が悪くなり、冷や汗が。やはり便ショックだ。早速ベッドへ移乗し、足を高く上げて寝てもらった。ここから、眠り続けて起きたのが15時過ぎ。看護師さんによると、血圧の低下後は眠るという。
抗生剤は便秘を誘発するので、便秘薬も一緒に飲む必要がある。でも、徹底していなかった。主治医から抗生剤と一緒に飲むよう処方されている便秘薬(重質酸化マグネシウム)、これが沈殿して飲みにくい。この前、それを言ったら液体のラキソベロンに替わった。過去、使ったことがあるけど、ちょっと使い難い印象が残っていてやめていた。やはり、今後は便秘薬も一緒に飲んでもらおう。
夕食は、野菜のポトフ○・ししゃもフライ○・ご飯○。
2010年04月01日
2009年12月08日
ブランデーケーキで昏睡 (^^;
今日は排便の日。なかなか出ない・・しばらくして力みだし顔色が悪くなり始めた。便ショックだ!トイレと違って私も気づくのが早くなった。ベッドに足を高く上げて寝かせた。幸い一時的で症状も軽かった。最近にしては、珍しく便が硬かったせいだと思う。
その後、居間の照明がぶっ壊れたので別の部屋の照明と交換。しかし、コンセントの形状違いのため、手直しすることに。確かこれって電気工事士にやってもらうことだったような?ブレーカーを落としてから作業した方がいいよな?と、思いながらいじっているとバチッ!ぎゃぁあ!ショートした・・。今度はブレーカーを落として作業完了。母は眠っていた。
午後15時過ぎ、母のおやつにブランデーケーキ。私もたまらず食べたくなって、1本を半分にして母と食べていた。「おいしいねぇ?でも、今日は暑いねぇ?」そのうち心臓がバクバクしてきた。「酔ってるぞ、これ?」母の顔も紅潮し、私の顔は真っ赤だった。ケーキの箱にはアルコール分が1%以上含まれています、とあった。
これでもだめなのか~?そのうち睡魔に見舞われ、母の失禁を取り替えてベッドへ。昏睡・・母の声で目覚めたのが18時半過ぎ。母の失禁を取り替え、しばらくボケ~ッとしていて夕食が遅くなってしまった。アルコールは本当にだめだな、これは体質。昔からだめだったけど、更に弱くなっているような?
夕食は、揚げ餃子○・もやし炒め○・ご飯○。
2009年10月06日
2009年10月01日
便ショック (・_・)
午後の第二弾の排便は16時半だった。ちょうど訪問リハの人が来ていた。母の顔色が悪く、便ショックになっていた。以前の経験から軽度だと思った。しかし、脈弱く、血圧も測定不能。こういう事実を知ると軽度だから・・と思ったことが怖くなった。先週もなっていたのだ。ひどかった時ってのは、非常に危険だったってことだし・・。母はベッドに横になって軽い関節運動中に眠ってしまった。血圧が下がった後ってのは、誰しも眠るらしい。
訪問リハは大事をとって簡単に終えた。途中で目が覚めたものの、17時半から爆睡。夕食の準備完了まで横になっていてもらった。ベッドで横になっている方が尿の出がいい。夕食中の失禁を回避したかった。この思惑は成功。夕食前に起こすと、大量の尿が出ていた。食事中の尿失禁はなかった。今後、夕食の準備中は横になってもらおうかな?
夕飯は、野菜のポトフ○・もずく納豆ご飯○・冷や奴○・巨峰○。
2009年08月11日
早朝の恐怖 (-_-)
最近は、早朝の噎せで起こされることが度々で睡眠不足。それと、介助が大変なため、体のあちこちが痛い状況だった。
今朝の5時過ぎ・・「ん?地震?あ、あ、あ、で、で、でかい~!つ、ついに東海地震が来たのか!?」母の所へ駆け寄って呆然としていると地震は治まった。長かった。揺れている照明や天井を見ているだけで何もできなかった。テレビを見ていると、凄いことになっていた。震度6弱だって?え?確かに今まで体験した地震の中では最大だったけど、震度6弱ってことはないよな?そのうち、自分の地域は震度4だとわかった。震度6以上って本当に恐ろしいことだろう。
母も目覚めたものの、また眠ってしまった。自分はしばらく心臓がドキドキしていた。何しろ40年ほど前から「東海地震が来る」と言われ続けている。でも、大地震が起こるのは他の地域ばかり。地震に怯えている。今日の地震は東海地震の1/200でしかないという。我が家は倒壊してしまう可能性が高い。無事で済むわけない。このままじゃまずいよな・・。
再び眠ると起きれないので、そのまま起きていた。今日は排便の日。シャワーキャリーに移乗して居間で排便。訪問リハビリの人と再度話し合った結果、シャワーキャリーを活用することが現時点では得策ということになった。なった、というか説得された。遅かれ早かれそうなるとは自分でも思っていた。
で、排便だけど・・う~ん、量が少ない。粘りに粘って、10時過ぎ再度排便。しかし、少し硬い便で出にくい模様。ふと母の顔を見ると顔色が悪く、汗をかいていた。便ショックだ!ベッドに移乗し、足を高くして寝かせタオルケットをかけた。便を採取。これで二日分の便が採れた。尿はまだ採れない。主治医の病院は明日から夏休みなので、早急に届ける必要がある。母の回復を確認し、病院へ届けた。
昼食後、シャワーキャリーに移乗。便の第二弾を待った。ところが尿だけ。尿を採取できてしまった。母を車に乗せて主治医の病院へ届けた。そして、今度は皮膚科へ。今月初旬から胸下に湿疹ができていた。一度、治りかけたものの、また酷くなってきていた。組織を採取した結果、カンジタなどの菌はなかった。更に細菌検査をすることに。結果は1週間後。軟膏をもらって、母を車に乗せた。こ、この臭いは・・。
家に戻って17時。もう一人いてくれたらなぁ!こんな時、小規模ホームにヘルプを頼めるのだけど、いざ!となると頼みにくいよな・・。シャワーキャリーに移乗してシャワー浴。あ~!疲れたよー!
夕食作りたくない・・。簡単に作れる食材も、冷凍のストックも切らしていた。幕の内弁当を買ってきた。ところが、がんもどき・鮭・しいたけ・・ことごとく口中で停滞。指を口に入れて排除の繰り返し。今日も疲れたよ・・。
夕飯は、野菜のポトフ○・幕の内弁当(がんもどき・鮭・しいたけ×)。
2009年07月14日
唇裂傷 (-_-)
あ~、またやってしまった。昼過ぎ、居間で立位保持できず、支えきれずに床に寝かそうとした。しかし、母の目前にはテーブルの脚。コンッ・・わずかにあたってしまった。母の口から血が・・あ~!そんな馬鹿な!酷すぎる!急いで消毒やら絆創膏やら用意して手当にあたるも、唇が裂けていた。なんでだ?そこは入れ歯の金具の部分。そこにあたってしまった。素人目にも縫合しないといけないのは明白だった。
急いで主治医の病院へ。「裂けているのでホッチキスで留めましょう。ホッチキス用意して」ホッチキス?医療用のホッチキス(スキンステープラー)なのだそうだ。カチッ・・カチッ・・と、もう見てられない・・。4ヶ所ホッチキスでとめられた。1週間後に抜くことになった。3月にも同様のことでタンコブを作っている。いつものごとく、対策を怠っていた自分が悪い。いつもこうだ、怪我してから対策・・何回目だ・・。午前中に便ショックあり。1時間ほどで回復。
いつもお前だよ、このやろう!のこぎりで切り刻んでやろうか?思いとどまり、脚にエアクッションとプチプチでグルグル巻きに。
夕飯は、中華丼○・味噌汁○・ミニトマトスープ○。
2008年11月23日
恐怖の便ショック トイレから脱出せよ (-_-)
今日は便を出す日。第一弾が出て、「量が少ないなあ」と思った。冷たい牛乳を飲んでもらい、腸を刺激。しばらくして、母の顔色が悪くなってきた。まずい!便ショックだ!トイレから出さないといけない。しかし、体がフニャフニャで起こすことすらできない。何度かトライするも無理。暖かいお茶を少し飲んでもらう。ダウンジャケットを着せる。トイレを更に暖める。主治医から「足を高くして寝かせ体を温める。血圧と体温の経過を見て、改善しなければ救急車を呼びましょう。」と、言われていた。
トイレから脱出しなければ!しかし、一人では無理だ。どうする?どうすんだ!?誰か呼ぶ?誰を?兄?訪問看護?救急車?もう一度やってみる。狭くて力が入る体勢がとれない・・。それでも左手を膝の下に手を入れ、背中に右手を回して持ち上げることができた。大量の便が出ていた。やはり、力んだんだな。どうにかベッドまで運ぶことができた。足を高く持ち上げ、毛布を掛け、部屋をガンガンに暖める。加湿器を最強にする。体温は35,2度。顔色は回復し、グゥグゥ眠ってしまった。体温も上がってきた。「もう大丈夫・・」と安堵。
回復してお目覚め
主治医によると「極度の緊張状態の時になりやすい。便を出す時に、力むことによって交換神経が緊張する。交感神経は血管を収縮させ血管は細くなり、血液量が減ってしまう。全身への血液循環が減って体温が下がってしまう。」ということ。
今回は今まででいちばん発見が早かった。発見が遅れると、大量の冷や汗をかいて顔色は更に悪くなる。体温も32,8度とか信じられない数値になったことがある。あの時、命を落としていても不思議じゃなかったかも・・。在宅介護も施設でも、そんな危険とは常に背中合わせの状態なんだと思う。
夕飯は、サラダ・かつ丼。
2008年06月28日
恐怖の便ショック (´_`)
今日は健診の便採取のため、排便の日。トイレで力んだ母は顔面蒼白で冷や汗をかいていた。顔を見てすぐわかった。「まずい、便ショックだ」トイレから出るべく引き起こそうとしたけど、母は体がフニャフニャで立つことができない。どうする?体を温めないといけない。お茶を飲んでもらい、必死でシャワーキャリーに座らせ浴室へ。こんな時にシャワーして良いのか?しかし、便座に座る寸前で便失禁してシャワーの必要性が既にあった。手っ取り早く体を温めるのにシャワーでも良いかな?とも思った。全ては自己責任・・。
シャワーで体を温めて居間で着替え。居間で立位も可能なまでに回復。顔色も戻ってきた。体温は35,1度。血圧は86/60だったかな?この数値、結構危ないな・・。入浴はだめだと思う。シャワーだから良かったかな?今回の対応、今度主治医に聞いてみよう。車椅子をリクライニングさせ、布団を被せ暖房をした。母はすぐ眠ってしまった。11時頃には体温は36,2度にまで回復。
夕食は、そうめん・夏みかん・ミニトマト。
2008年02月24日
便ショック (-_-)
今朝、母はトイレで大量の排便。よし!しかし、母の様子がおかしい。大量の汗をかき、顔色は青白く意識もうろう・・。「やばい!便ショックだ!」どうにか居間に誘導し、足を高くして車椅子に寝かせる。体温を測ると、34度。まずい!暖房をガンガンにしてジャンバーを着せて体を温める。血圧を測ると200超え!なんだこれ!嘘だ!?再度測るもエラーになる。途中の数値は230とか、とんでもない数値。
以前、主治医に処方してもらった血圧を下げる薬を取り出す。いや、待て!便ショックでこんなに血圧が上がるのか?血圧が低いのに血圧降下剤を飲ませたら、尚更まずいことになる。再度血圧を測ると100前後だった。血圧が不安定なのか?血圧降下剤は中止。羽毛布団を被せて様子を見ることに。意識はあるので、暖かいお茶を飲ませてみる。
しばらくして血圧は100前後で安定、体温が34.5度からなかなか上がらない。救急車を呼ぶことも考え出した時、顔色が良くなってきた。母は眠っている。どうやら大丈夫かな。2時間ほど経って、ようやく回復した。
この便ショック、去年もあった。去年なんか32度台にまで落ちて冷や汗かいたっけ。主治医によると、「極度の緊張状態の時になりやすい。便を出す時に、力むことによって交換神経が緊張する。交感神経は血管を収縮させ血管は細くなり、血液量が減ってしまう。全身への血液循環が減って体温が下がってしまう。」と、いうこと。
対処方法は、「足を高くして寝かせ体を温める。血圧と体温の経過を見て、改善しなければ救急車を呼びましょう」とのことだった。排便の量が多かったから、力んでなってしまったんだろう。やっぱり、排便は毎日が基本なんだな。しかし、怖いな・・下手すれば命を落とすことになるだろうし、その場合は心不全ってことにってしまうのだろう。
夕食は、鍋・雑炊・牛乳。
2007年05月13日
私の油断で死の淵へ? 低体温(便ショック) (-_-)
今日は参った、母の日だというのに本当に参った!今朝は便失禁のため、風呂でシャワーの後にトイレ誘導。まだ出るからだ。部屋はファンヒーターで暖め、トイレも電気ヒーターで暖めていた。もちろん体はしっかり拭いて長袖の下着を着せた。そして、下にズボンを履かせるのをやめてしまった。「ヒーターもあるし、そんなに寒くないから大丈夫だろう」と思った。
実は部屋に便の臭いが残っているので、換気扇をして空気の入れ替え中だった。だから、室温は22度前後だった。私は、朝から動き回っていたので暑いくらい。でも、やはり露出した足からの体温が奪われるのは早いのだった。施設に厳しいくせに家ではかなりいい加減・・嫌な奴だ。
母は便がまだ出ていたので、トイレで食事。そして洗濯とかしながらも、母にお茶を飲ませたり姿勢を整えたりチェックしていた。しかし、10分ほどだろうか?目を離してトイレの母を見ると、顔色が悪く冷や汗をかいていた。この症状は、以前にあった。意識も、もうろうとしている。
家の血圧計は、エラーになって母を測れない。体温を測って驚いた。32、8度!「うそだろ?何かの間違いだ!」もう一度、しっかり測る・・やはり32、8度。実は過去、この状態で体温を測ったことがなかった。「どうしたらいい?」お茶を飲ませたり、フットバスをやったり。水分を補給させようと思って、冷たい野菜ジュースを飲ませてしまった。これは後から大失敗だとわかる。顔色は少し回復。でも、34度からなかなか上がらない。冷たい野菜ジュースのせいかも・・。ネットで低体温を調べる・・。
35,5度は低体温
34度は生死の境
33度は死の入り口
あるサイトに上記のことが書いてあって、更に焦ってきた。「まずいぞ!救急車を呼ぶか?」暖房をガンガンにしてダウンジャケットを着せ、少し熱いお湯のフットバス。そして暖かいお茶を飲ませ、体をドライヤーで温める。35度からなかなか上がらない。室温は29度にもなっている。熱いお茶を飲ませる。ぬるくなってきたフットバスのお湯を入れ替え。35、4度まで上がってきた。12時近くなって中華丼を食べさせる。36、4度まで上昇して危機を脱した。
私は以前から「迷った時は救急車を呼んだ方がいい」と日記に書いてきたし、実際にそうしてきた。しかし、今回は違った。35度から、なかなか上がらない時まで救急車を呼ぶか、ずっと迷っていた。迷った理由は3つある。1つめは、少しずつだけど、体温は32、8度から上昇していたこと。2つめは、以前も同様の状態から回復したこと。3つめに、チラチラと思うことがあった。「このまま逝かせてやってもいいんじゃないか・・」という思いだった。もちろん、懸命な手当てをしても35度から変らなかったり、それ以上下がったら救急車を呼ぶつもりだったけど。
手当てを放棄してのことなら殺人だろう。母の心臓は肥大化して弱っている。過去、循環器科で何度も診てもらった。薬は処方されない。「問題ない」とも言われた。この状態で何かあっても、それは「寿命」と暗に言われていることだ、と思っていた。「懸命な手当てをしてのことなら・・それは寿命だろう・・」そういう自分がいたのだ。懸命な手当てと言っても所詮素人なんだけど。
以前、この症状でここまでの手当てはしていなかった。体温さえ測らなかった。手と見た目で回復を判断していたけど、凄くいい加減だった。その時、命を落としていても不思議じゃなかったかも?母は心臓が弱っている。いつ、その時がやってきてもおかしくない。ネットで調べてみたけど、「偶発性低体温症」というのかもしれない。高齢者に起こり易いらしい。私も素人だからパニックに陥りやすい。経験豊富な看護師さんだったら、私みたいに「生死の瀬戸際かも?!」なんてならないかも?母の日だったけど、特別なこともしなかった。手作りの豚丼で勘弁してくれ。
夕食は、豚丼・味噌汁・牛乳・ヨーグルト夏みかん。
※後にこの症状は「便ショック」だと判明。
主治医によると、「極度の緊張状態の時になりやすい。便を出す時に、力むことによって交換神経が緊張する。交感神経は血管を収縮させ血管は細くなり、血液量が減ってしまう。全身への血液循環が減って体温が下がってしまう。」と、いうこと。対処方法は、「足を高くして寝かせ体を温める。血圧と体温の経過を見て、改善しなければ救急車を呼びましょう」とのこと。
2007年5月14日の日記参照