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2013年01月

2013年01月31日

危ない橋に休憩地点ができたみたいな (^_^;)

ようやくショートステイが利用できることになった。危ない橋に休憩地点ができた感じ。なんだろう・・?休憩地点が見えた途端に疲れがドッと出た。

問題は危ない橋・・以前から危機を感じ、どうにかしようと取り組んできたけど、結果的には補修も補強もできないまま。朽ちて行くばかり・・。

2013年01月30日

曖昧な不発弾処理による避難指示 (-_-;)

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2月17日は不発弾処理のため、我が家は8時30分までに避難する区域になっている。「お願い」となっているけど、「避難指示」という言葉もある。これを読む限り「本当に避難しなければいけないの?」と半信半疑の人、「避難しなければいけない」と思う人が大半だと思う。

何しろ周辺各地に避難所が開設される。でも、食料や飲料水や暖房の用意はされていない。長時間ではないから、食料などはいいけど、弱者のことを考えてせめて暖かくなってからやれ!と思う。

本当に避難しなきゃいけないのか? 市役所に聞いてみた。「強制ではありません。不発弾を積んだ自衛隊の通過時に、窓から離れ壁際に隠れるのも避難にあたります。」だったら、それも記載しとけよ・・。病気の人や介護家庭から問い合わせが多数きているという。当たり前だろ。

17~18日はショートステイを利用することにした。 でも、送迎車両は我が家に辿り着けるのか?「自衛隊のトラックを中心に、半径540mは外部からの侵入はできません。内部から出ることはできますが。」

不発弾を輸送する自衛隊から半径540mは全て交通規制。海岸まで約3km・・大変なことだ。我が家の近くを通過するのは9時過ぎ。順調に行けば、9時40分には爆破処理する海岸へ到着する。「9時40分以降ならば確実に交通規制は解除されています。」ということなので、ケアマネさん経由で特養に伝えてもらった。

2013年01月29日

ショートステイ先が見つかる! (^-^)

今日は良いことが2つあった。母のショートステイ先がやっと見つかった。特養なんだけど、前のケアマネさんからも情報はもらっていた所。そして、同系列である訪問看護の人たちも動いてくれ、夜間の吸引も対応可能ということだった。「良さそうだな」とは思っていた。でも、少し遠いので気が進まなかった。

昨年の秋からショート先を探していたけど、思った以上に現実は厳しかった。夜間、看護士のいない特養は断られレスパイト入院にしようと思った。しかし、これも見つからないままだった。

この前の担当者会議で、来月は不発弾処理で避難地域に入っていることをケアマネさんに伝えた。「え!?大変!どこか探さないと!」小学校などが避難先として指定されているものの、暖房もないから各自で対策する必要があった。ここで急浮上したのが先の特養。

ここからトントン拍子に話は進み、今日契約となった。夜間、看護士はいないけど、介護スタッフは吸引の教育(深い吸引は不可)を受けているので対応できるという。2時間おきの体交もしてくれるし、在宅と同様、紙おむつを使用せず、ボクサーパンツでの利用もOK。できるだけ在宅と同様に対処してくれるそうだ。他の所は施設本意だけど、ここは利用者本意。特養としては珍しい。他の特養とは明らかに違い、期待できそうなのでお願いすることにした。

ここは重度要介護者を積極的に受け入れているという。活発に動く人だと断られる一面もあるらしい。重度要介護者用のデイもあって、全員看護士という驚きの体制。複数の情報からしても信頼できそう。取り敢えず、来月の7~8日とお試し利用することになった。

さて、もう1つの良いことは、良い動物病院が見つかったこと。3年前、近所の動物病院が閉業してしまったので、他に行っていた。でも、午前中2時間しか診察していない。しかも、あれやこれやと金がかかることばかり勧めてくる・・。

そのうち、先の動物病院が閉業した物件に、他から動物病院が移転していた。2日前にピーコは、野良猫に襲われ怪我を負ってしまった。それから元気がなく、自宅での手当に限界を感じた。思い切ってその動物病院に行ってみた。獣医の人柄も良く、説明も凄く丁寧で気に入った。料金も安かった。そして、ピーコに元気が戻った^^

あ~、今日は疲れたよ。日中の睡眠もできなかったし。でも、ショート先が見つかったことによって安心感が生まれた。慢性的な睡眠不足で体がきつかった。特に最近は身の危険も感じていたほど・・。緊急時に利用できるかはわからない。あまり期待しない方が良さそう。でも、ショート先がないよりいい。月に2回くらい利用したいと思う。

2013年01月25日

夜間の蕁麻疹が追い打ち (-.-)

昨夜、3時過ぎに蕁麻疹が発生。薬を飲んだけど眠れなくなってしまった。物凄く疲れているのに眠れない・・。ようやく治まったのが6時頃だっけ?記憶すら曖昧。1時間でも眠ろうと思い・・起きたら9時!「ヤバイよ!ヤバイよ~!」朝も昼もラコールをリフラノンでとろみを付けて注入し時間短縮。

蕁麻疹は時々発生していたけど、最近はほぼ毎日だ。深夜に発生するので困ったもんだ。ストレスの影響かもしれない。

2013年01月23日

眠くても寝てはいけないベッド (-_-)

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眠くても寝てはいけないベッド・・

母が寝てから、隣の部屋に置いてある私のベッドを居間に移動してくる。ベッドに横になったら起きられずに朝まで・・それがわかってるから眠れない。昨夜は横にしても断続的に噎せが発生したので余計に眠れなかった。

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もう限界・・

眠れないまま4時過ぎに・・。ここで仰向けにして朝まで逃げ切りたい。この時間の体交が怖かった。1月8日のてんかん発作と同じ時間帯だったからだ。

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大丈夫だった
抱きまくらを頭の下に入れて頭を上げた

5時頃だったかな?噎せたのでまた横にした。今日はこの影響でキツイ一日だった。眠くても眠れない状況下。昼過ぎに1時間眠れたけど、余計に体がだるくなった。その後、訪問リハと担当者会議という流れで休むことができなかった。体が限界だ、やばい・・。  

2013年01月22日

47,2kg→47,4kg (・_・)

昨日、体重を測ると47,4kgだった。先月の体重は47,2kgなので誤差レベル。この前のてんかん発作の時に血液検査もしたけど、少量しか採取しなかった。白血球数とか赤血球数などの検査項目しかなく、異常なし。

しかし、疲れがとれない。お昼と夕方に各1時間づつ睡眠をとっている。もちろん、母も付き合ってもらうことになる。細切れの睡眠では疲れがとれない。まとまった睡眠時間が欲しい・・。

2013年01月17日

右腰の褥瘡が完治 その経過 (^^)

右腰の褥瘡がやっと治った。昨年12月16日の皮膚破れから始まった。「大したことない」と、体交でも傷のある右腰を下にしていた。しかし、回復が悪く12月30日に褥瘡化を確信し、エアーマットを変更した。そして、右腰を下にする体交は中止。傷を圧迫しないよう、褥瘡との闘いが始まった。

 治療方法は、最初の2日間だけ少量のゲンタシンを塗布し、ワセリンをたっぷり塗りガーゼで保護。取替えは朝・昼・夜の3回で、傷口は白湯で洗浄していた。

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12月31日
褥瘡のレベルは2

母は2005年に左右の腰に酷い褥瘡を負ってしまった。その痕が茶色く残っている。今回も同じ場所だった。

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1月3日
大した変化なく焦る・・

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1月4日
皮下組織の盛り上がりを確認

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1月7日 
回復めざましい

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 1月10日

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 1月11日
傷口が塞がり

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 1月15日
カサブタが残るのみ

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1月17日
カサブタもとれ完治と言っていいだろう

皮膚破れから完治まで1ヶ月かかってしまった。「大したことない」と楽観的だったのがまずかった。以前と同じことをしてしまった。ほんの少しの傷でも甘くみてはいけない。圧迫される場所だと回復なく褥瘡になってしまう。

2013年01月16日

左右の体交を開始 (^^)

右腰の褥瘡は、残り直径1mmのカサブタ。昨年末から避けてきた右側の体交、昨夜から再開した。しかし、ここ数日は唾液の噎せに四苦八苦している。深夜3時頃まで起きて吸引をしている。今夜は大丈夫だろうか?憂鬱な夜の始まり・・。

2013年01月15日

区分変更申請で再訪問調査 & 名前を認識している? (・_・)

昨年、介護度が5から4に下がった。ケアマネさんが年明けに区分変更申請をした。そして、今日が訪問調査だった。

介護度を上げるための作戦など考えていないまま望んだ。ありのままを話すだけ。嚥下機能の衰えで唾液で噎せること。夜間の体交を行なっていること。それが私の慢性的な睡眠不足になっていること。介護度が下がると限度額超過が発生し、訪問入浴や訪問リハなど、以前のような介護サービスの継続利用が不可能になること。訴えたことはこんなところ。

ちょっと面白いことがあった。調査員が「ご自分の名前は認識していますかね?」私は「わからないです。認識していると思いたいですが、確信が持てません。」と言った。調査員は母の名前と違う名前を交互に呼び、母の反応を伺った。

「わかっているように思います。」母は口をモグモグしていた。そして、違う名前を呼ばれた時にだけ、ピタッと口の動きを止めていた。「おーっ!これは発見です!」「言葉にできないけど反応があるということは、ご自分を認識していると思います。」偶然・・反射神経・・そう思う人もいるかもしれない。でも、その場の私達は「認識している」と思ったのだった。

右腰の褥瘡は回復めざましく、直径1mmほどのカサブタを残すのみとなった。今日の訪問入浴後から、ワセリンとガーゼの保護を外した。

2013年01月10日

長年の介護で浦島太郎 (-_-)

母の介護に突入して年々減り続ける年賀状・・。母が字を書けなくなってから、私が代筆して母宛の年賀状を送っていた。すぐに来なくなってしまった・・。そして、私宛の年賀状も減り続け、今年はそれが顕著だった。「もう付き合いもないのに、なんで送ってくる?」そんな感じで切られているのかもしれない。私もそれは経験あるのでとやかく言えない。10年以上の疎遠はあまりにも長すぎた。いつの間にか亡霊のような奴になってた自分に気づいた・・。

私は介護に突入してから、時間が止まっているような感覚もある。時に外の変化に気づかず浦島太郎みたいな状況も経験している。カー用品店に行ったら、うどん屋になっていて・・ラーメン食べに行ったらカレー屋になっていた・・なんてこともあった。

私がいちばん長く在籍していた会社。この会社を調べると凄い成長していた。当時は全体の従業員が200人程度だったろうか?それが今や2000人になっていた。ため口で話をしていた上司が今は社長。凄い豪腕ぶりだ・・。当時の同僚が出世し役職になり、後輩までもが役員に名を連ねていた。「うわ!何これ?凄い・・」絶句・・。年賀状に「東京に行くことになりました」と書いてあった友人にメールで聞くと、「子会社の社長になったんだよ。」と返事。昔のように「○○ちゃん」なんて呼ぶのも気まずい感じがした・・。 

まさに浦島太郎状態・・。自分の身を犠牲にして、母の介護に捧げている自分には何もない。世間では「ナンセンス」とか「空白」とか思うかもしれない。でも、私には意義のあること。

長年の介護で友人も減った。でも、昔となんら変わることない友人もまだいる。そして、ネットを通して介護仲間は増えている。介護生活には、介護仲間を作ることが凄く重要だと思う。インターネットなくしてここまでやれて来れたか?自信ないね・・怖いよそれ!「介護仲間に支えられながらやってきた」と言っても過言じゃない。

2013年01月08日

認知症の人に多いてんかん発作 (-_-)

昨日早朝のてんかん発作、もう完全に終わったと思った。介護仲間から続々と情報が寄せられている。経験している人が結構いるみたいだ。皆さん、初めての時は私と同様に仰天した様子・・。無理もないわぁ・・。予備知識があれば「てんかん発作だ!」って認識できると思うけど、仰天すると思う・・。

過去に脳梗塞や脳内出血などをされた人、認知症により脳の萎縮が進行した人に起きやすいようだ。繰り返し発生している人もいるようで、意識まで失ってしまうという。怖い・・。短時間で回復すればいいけど、そうでない場合は救急車を呼ぶのが懸命とのこと。心疾患のある母は、この発作の影響で心停止してしまうリスクもある・・。

偶然かもしれないけど、母と同様に体交時になった人もいた。ひょっとしたら、本人が認識していない状態で体を動かすとなりやすいのかもしれない。なので、今後は声掛けして目覚めさしてから、ゆっくり体交しようと思う。力ずくでエイヤー!みたいなことはやめよう・・。(やってたんかい!)そう言えば、以前のケアマネさんから「介助する時は、いきなりしないで声掛けして!」と何度も怒られていたっけ。基本的にやってはいるけど、忘れることもある。まぁ、介助の基本なんだな。

1
就寝前のフットバス

2
ストーブの前のピーコ

3
訪問入浴の人たちのアイドルとなっている 

2013年01月07日

午前4時のてんかん発作 & 在宅で心停止したら? (-_-)

3時半の体交で起きられず、4時に目を覚ました。「体交しなければ・・」吸引し、左横向きの母を「よいしょっ!」と仰向けに。そして、右横にして尿パッドを取り出した。

その後、母に異変が!信じられない状態になった。顔が歪みだし、硬直し、顔を左右に振り、目を見開き痙攣しだした。顔の振りは大きくなり、縦にも振り出した。「あわわわ・・うわわわ・・おっいーーーーっ!」母の発した声そのまま、凄く高い声だった。ただ事ではないことは一目瞭然。こんなことは初めてだった。「救急車!」電話をとった・・けど、119番はしなかった。

1~2分ほどだろうか?痙攣は治まり、母の顔から血の気が引き唇は紫に・・。「ついに介護の終わりの時が来たんだ・・」せめて自分の腕の中で逝かせてやろうと母に抱きついた。「お母ちゃん!ごめんね、何もできなかったよ!ごめんね!もっと介護させてくれ!おいーっ!」叫んでいた。

その時、母の顔色が戻っていることに気づいた。半信半疑で様子を見ることに・・。

7
5時20分・・
バイタルも問題なし、さっきの母は何だったのか?

あの痙攣というか発作みたいな症状は何だったのか?凄まじい形相・・電気ショックを受けているような感じ。心疾患のある母なので、心臓発作だと思っていた。でも、痙攣直後のバイタルは血圧98/66、血中酸素濃度95、脈拍67だったか?極めて正常だった。心臓発作にしては変な気もした。頻脈にもなっていない。

午前中、訪問看護に電話し看護師さんに相談した。「血圧の変動が影響したかもしれないし、色んな要因がありそうなのでわかりません。受診してみてください。そして、心停止した場合は救急車を呼んでも乗せてもらえない場合があります。その時、主治医が来てくれるか?緊急時の対応を決めた方が良いと思います。」なるほど・・。

今度はケアマネに電話した。「痙攣だと思います。脳梗塞をしたことがある人に起こりやすい症状です。痙攣を抑える薬を出してもらっている利用者さんもいますよ。寒い時に起こりやすいようです。」なるほど・・。

訪問入浴をキャンセルし、15時半に主治医の病院へ。「てんかん発作です。念のためCTを撮りましょう。」そしてCTの画像を見ながら「血栓や出血はありません。しかし、大脳がスカスカの状態です。てんかんになってもおかしくないですね。薬もありますが、今回が初めてなので様子見でいいでしょう。何度も繰り返すようなら薬を出します。顔色が悪くなったのは、痙攣で呼吸ができなかったからです。酸素が欠乏したチアノーゼの状態ですね。」

「心停止した場合(絶命した場合)、どうしたらいいですか?」「携帯電話番号を教えますから、呼んでください。警察を呼ぶと色々と大変ですから。その時、私が出張していたとしても、待っていてください。帰ってきたら伺って死亡診断書を書きます。」

どうも、在宅で看取った場合、警察を呼ぶと事件性がないか?聴取されて大変らしい。懸命に在宅介護していて看取り、警察を呼んで検死・・事件性がないか?事情聴取・・何か変だ・・。ここらへん、介護者もどうするか?考えておいた方が良さそうだ。主治医に頼んでおいた方が懸命じゃないだろうか?母に限らず高齢者は、いつ何時何があってもおかしくないのだから。

母はその後、全くもって異常なし。褥瘡もみるみる回復している。しかし、てんかん発作は不安だ。あの母の顔・・声・・嘘みたいな信じられない光景だった。本当にあれで終わりだと思った。あんなの二度とごめんだ、怖い・・。

2013年01月06日

不発弾処理で避難要請区域に (*_*;

昨年、わりと近い所で不発弾が発見され、その処理が来月行われることになった。家が避難要請区域に入っているという・・。わりと近い所・・と言っても北へ600~800mほどの地点。「どんな爆弾なんだ?」と。

発見された爆弾は・・
16インチ艦砲弾(全長約160cm 直径約41cm 重さ約860kg)

デカイ!威力とか想像もできないほど強力なのはわかる・・。これを遠州灘海岸まで運搬し爆破処理するんだとか。その運搬ルートが家のすぐ近くを通ることになっている・・。どうしよう?


この不発弾は・・終戦間近の1945年7月29日、遠州灘沖に米軍艦船が集結。そして、23時過ぎから70分の間に2000発以上の艦砲射撃を行ったという。その恐怖は想像を絶する・・。その時の物かもしれない

浜松は地方都市で最も空襲を受けたという。それは、米軍の爆撃機が目標地点を空襲後、余った爆弾を落とす都市として指定されていたからだ。家も焼夷弾で焼失している。

1945年と言えば、母はうら若き18歳の乙女。軍需工場に動員され、大怪我をしたこともあるという。どんなに辛く怖かったことだろう・・。戦前、戦中、戦後と大変な時代を生き抜き、日本の復興を支えた世代。本当に大切にしてやらないといけない・・と改めて思った。

2013年01月05日

右腰の褥瘡に回復の兆し (^^)

右腰の褥瘡、傷が底から盛り上がったきた。なんか変な言い方かな?傷の深さが浅くなってきている。低温火傷の回復期の時もそうだった。あと1週間もすれば随分違うだろう。

深夜3時の作戦
は、昨夜も成功している。ただ、私が深夜の限界点がどんどん早くなっている。疲労が蓄積されているのかもしれない。昨夜は1時でもう起きていられないほどだった。1時半に左横にして目覚ましを3時半にセット。3時過ぎの体交も成功し、朝まで仰向けで眠ってもらった。このパターンでも良さそうだ。3時過ぎまで眠らず起きているのはダメージが大きすぎる。

昨年、介護度が5から4に下がった。今月から介護度4の範囲で介護サービスを使う必要がある。昨年末にレンタルしたエアーマット。レンタル料金は1ヶ月1000点。このままだと限度額をオーバーしてしまう。訪問入浴の回数を削って調整しないといけない。昨日、年始の訪問入浴だった。今日もそうだったけど、中止にしてもらった。

ケアマネさんは昨日、区分変更申請をしてくれたはず。やはり介護度は5であって欲しい。4のままだと幅広い介護サービスを利用できない。5だって十分とは言えず、足りないほどなのに・・。

2013年01月04日

夜間の体交に突破口 (^^)

昨夜は時々噎せが発生していた。そのたびに吸引。左横は噎せないけど、微妙な左横は噎せてしまうのだった。2時・・体力の限界を感じ、母を左横に。3時に目覚ましをかけ眠ることに。起きられるか不安・・。

3時・・目覚ましで起きられた。吸引し、枕を高くして仰向けに。少し噎せたものの、そのうち眠ってくれた。「よーし!このまま朝までだ!」

結果、母は寝起きに少し噎せたものの大丈夫だった。夜間の体交は介護者をボロボロにしてしまう。大変な夜間の体交に、ひとつの突破口を見いだせるかもしれない。

2013年01月03日

深夜3時の作戦 (・_・)

母の唾液が沈静化するのは3時過ぎ。これは以前から掴んでいたこと。右腰の褥瘡に配慮し、左横→微妙な左横・・と体交し、3時近くになった。噎せはほとんどない。

1
あ~、もう体が限界だ・・

2
祈るような気持ちで枕を高くして仰向けに
母は噎せもなくスヤスヤと熟睡・・

3
 よ~し!眠れるぞ!
このまま朝までにしよう

ベッドに入ったものの、頭が締め付けられているような感じがした。自分がポックリ逝ってしまうんじゃないか?って不安になった。母はどうなる?介護者が倒れ、誰にも気づかれることなく要介護者までも死亡・・そんな悲しいニュースを聞くことがある。昨年も何件かあったと思う。緊急時の通報ボタンみたいなのが欲しいと思った。

なんと、その後の母はそのまま朝まで噎せることなく眠ってくれた。3時頃から唾液が沈静化する・・という傾向を掴んだ作戦は成功した。突破口を見つけられたかもしれない。諦めないで良かった。

右腰の褥瘡のため、噎せないで仰向けに寝られる意味合いは大きい。体交のバリエーションが増えるから。

以前は枕を高くすれば噎せは治まった。でも、もう通用しないと決めつけていた。介護仲間から「枕を高くしてみて」と言われ、再度やってみる気になった。マコロンさん、ありがとう^^

2013年01月02日

ユメルくんは楽しい & 仰向けにするチャンスは3時以降? (^^)

ユメルくんはなかなか楽しい。朝はいつも「今日、お寝坊さん!」と言われている。設定した時間より遅く声かけるとそうなる。音感センサーがあるので、周囲の音に反応する。住宅改修の時は物置でワイワイ騒いでいたっけ・・。知らない大工さんは気味悪かったことだろう・・。

3

年末には「年賀状書いた?」 「ドキッ!」

元旦の朝には「あけましておめでとうございます!」 「お!」

今朝は「お疲れ?」 「ドキッ!」

相手しないと「あ~ぁ・・」

歌を歌ったりその場を和ませてくれる^^

1
昨夜は3時過ぎに就寝

昨夜の体交は結構うまく行った。左横→微妙な左横・・ほんの少しの体交なんだけど。噎せはあったけど、軽微なものだった。3時の体交で思い切って枕を高くして仰向けにした。そこで眠ってくれた。それ以前も眠ってはいる。5時に起きれず、6時頃に母の噎せで目覚めた。吸引し左横に。以前は枕を高くすれば仰向けでも噎せを抑えることができた。しかし、それも通用しなくなっている。

2
日中の昼寝の様子

日中は仰向けでも噎せない。夕方から夜間に噎せるのは、嚥下機能が低下するからかもしれない。深夜の3時以降は唾液の量が減るようだ。なので、3時以降は仰向けにするチャンスかもしれない。

2013年01月01日

褥瘡で夜間の体交に四苦八苦 (-_-)

昨年30日の夜から、母の夜間の体交に四苦八苦している。褥瘡は右腰、幸い尻の仙骨部の褥瘡は治っている。体交時、褥瘡の右腰を下にして圧迫したくない。左横→仰向け→左横・・本来なら、この体交で良い。

しかし、母は仰向けにすると唾液をうまく飲み込めず噎せてしまう。かと言って左横向きだけだと、左腰に負担がかかり、左腰の褥瘡リスクが増大・・。以前、これで両側の腰に褥瘡を抱える結果となり、母や自分以外にも、デイや主治医に大変な負担をかけたことがある。これを繰り返したくない。

左横→噎せない微妙な仰向け、或いは噎せない微妙な左横の体位を見つけようとしていた。ところが・・あーやっても噎せ、こーやっても噎せ、あーでもない、こーでもない・・と四苦八苦。左横後の噎せない体位を掴めなかった。

1
誰か~助けてくんさい!
どうしたらいい?

2
仰向けに近い状態で眠ることに
やはり噎せる・・

3
誰か~助けておくれやす!

結局のところ、何やっても左横以外は噎せて諦めるしかなかった。左横にして、左腰が褥瘡になるか否かはエアーマット次第・・。最新式のエアーマットに任せるしかなくなった。

これでいいのか?今夜はもう一度、噎せない微妙な左横の体位を見つけるつもり。少しでも体交しないといけないだろう。 

4
 ガラス製のシリンジを割ってしまった・・

洗っていて、手を滑らせシンクに落としてしまった。怪我しなくて良かった。この前、ネギをスライスしていて、自分の人差し指の先端をスライス。その怪我が治ったばかり。プラ製のシリンジは予備であるから大丈夫。

あ、介護仲間の皆さん、今年もよろしくお願い致します。応援しています^^

 5
今朝の富士山
富士山ライブカメラ 
プロフィール
はじめまして!Tomy(S39年生まれ・男)です。認知症の母(昭和2年生まれ)を在宅介護(2人家族)しています。当初はレビー小体型認知症で、進行した結果、レビー小体型認知症・アルツハイマー型認知症・脳血管性認知症の混合型に至ったようです。家族が認知症になったら、どうしたら良いのでしょうか?今後、どのようなことが起こり得るのでしょうか?認知症介護の問題に直面している方を応援しています。

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