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2009年08月

2009年08月31日

精神崩壊?絶叫の家 (・_・)

夕食前、失禁で清拭のうえ衣類交換。夕食を食べはじめて間もなく、またもや失禁。精神崩壊?し、「またかよーーーーっ!」絶叫!叫ばずにやってられない。衣類交換・清拭ののち気を取り直して再度夕食。

21時半、母をベッドへ。清拭し、軟膏を塗る。あちこち邪魔されまくる。「やめろ!離せよ!」絶叫!ようやく完了し、片付けののち目薬をすべく母を見ると、発疹のある胸下をバリバリ掻いていた。悪化してきたので、私の判断で昨日から薬を替えた。そして、劇的に綺麗になってきていたというのに!「ふざけんなーーっ!」絶叫!とうとう母をビンタしてしまった・・。許してくれ・・。

大声で絶叫する家・・あり得ん・・こんな家があっていいのか?ここにある・・。そのうち警察が来るかも?どうかしてる、精神的に限界なのかも?耐えろ!耐えられん・・我慢できない。
夕飯は、野菜のポトフ○・野菜カレーライス・杏仁豆腐○。

2009年08月30日

譲れない砦 座位を保持せよ (・_・)

はぁ~・・疲れた~・・。母は普段は居間で車椅子に座っている。排便はシャワーキャリー。排便の日は、午前と午後の2回出る。午前は座ってすぐ出ることが多い。だが、午後が読みにくい。排便のサインは、切羽詰まったような発語。でも、これがあってからでは間に合わない場合が多い。

今日は16時過ぎだった。少し漏れていた。居間からベッドに行って横になって、ズボンを下ろしへシャワーキャリーへ移乗する。ほんの数分だが間に合わない。このサインの前にシャワーキャリーに移乗すると、長期化しがち。1時間粘っても出ない場合もある。

特に午後は、排便の他に失禁も多い。就寝まで何回も何回もベッドへ行って横に。下着とズボンの交換、清拭をする。体重60kg、重いよ、疲れるよ・・。そして、母のささやかな抵抗にもあう。あちこち掴んだり・・。一瞬の隙に何かを掴む。「離せよ!離せって!」怒鳴ってしまうことも度々だ。

じゃ、ベッドで寝たきりにさせたらどうか?と。そうは行かない。寝たきりにしたら、心肺機能や筋力も落ちてしまう。それに母は心臓が肥大している。寝たきりにはさせたくない。介助が大変だろうが、車椅子へ移乗して居間へ。座位を保つこと、私の譲れない砦なのだ。
夕飯は、野菜のポトフ○・鯖の味噌煮○・ご飯・味噌汁○・桃○。

2009年08月29日

収束しない胸下の発疹 (´_`)

早朝の噎せで起きて横の体勢に。しかし、ここから体がおかしくなってしまった。7時になっても起きれない。9時になっても起きれない。9時半にようやく起きた。

母の皮膚トラブル、懸命の処置をしている。失禁したらベッドで横になってもらい、股~尻周辺をお湯で綺麗に清拭している。これをするようになって状態はどんどん回復。何より清潔にするってことが、皮膚トラブルの回避になるのだろう。もう薬はいらないかも?

しかし、胸下の状態が悪化している。股同様に綺麗に清拭してるんだけどなぁ?どうも就寝中に掻いている模様。股の方はオムツカバーで直接掻けない。これじゃ延々と皮膚科に行くことになるじゃないか・・。
夕飯は、野菜のポトフ○・子持ちめかぶ納豆丼○・冷や奴○・味噌汁○。

2009年08月28日

ちょっと安心 (^^;

またやった!朝の洗濯が終わって干そうとしてショック!またしても尿パッドが混じっていた。なぜだ・・?被害甚大なり・・。失禁して衣類の交換するにしても、ベッドに移動して手間と時間がかかるようになった。油断すれば車椅子から転落さえしてしまう状況。洗濯カゴの中のパッドを捨てようと思いながらも、次の行動をすると忘れる。

どうも最近おかしいんじゃないか?この前の巨大ショッピングセンターの件もあった。再度の洗濯の合間に床屋の友人の所へ。そのことを言うと理解してくれた。「あ~、わかるわかる!あれはさ、イオンモールへの通路のシャッターが22時で閉まるんだよ。イオンモールの閉店が22時。ジャスコは食料品以外23時じゃん。同じ時間にすりゃいいのに。これを聞いてホッとした。いちばん知りたかったのが、イオンモールへの通路のシャッターの存在の有無だった。やはり閉まってたんだ。自分はこの営業時間の差も知らなかった。これなら、自分的に許せるかな。

今月初旬に母の検診を行っていた。でも、その結果をまだ聞きに行っていなかった。新型インフルエンザのせいもあって、気が進まなかった。病院へ行ってもらってくることも十分あり得るし。でも、あまり神経質になってると、何もできないし。検診の結果は良好だった。一安心。

しかし、今日淹れたアイスコーヒーは旨かったなぁ!あんな旨いの初めて(^-^)

28

夕飯は、野菜のポトフ○・野菜カレーライス○。

2009年08月27日

新たな趣味? (^^;

1
コーヒー豆

2
その豆を挽いてドリップコーヒーを煎れる。

3
この香り、わかるかな?

4

毎日何杯もインスタントコーヒーを飲んでいる。味わう、というより眠気覚ましの意味合いが強かった。いつものごとく、悶々とコーヒーを飲みながら、何か息抜きが欲しいな。菜園も趣味じゃないな、料理も下手だし。あまり意欲も沸かないし。この状況じゃ難しいよな・・。金がやたらかかるのもダメ、時間がかかるのもダメ。あんまり面倒なのもダメ、体力を使うのもダメだ・・。

かつては、ウィンドサーフィン・スキー・バイク・車・釣り等々、色々やってきた。その中で、バイクと釣りだけが残った。そして、母の介護が始まりバイクから降り、ついに釣りも行けなくなってしまった。趣味と言えそうなことが何もなくなってしまった。在宅介護は、色々と制約されてしまう。言い方が悪いかもしれないけど、介護者の犠牲の上に成り立っている、とも言える。でも、それを在宅介護者が大いに嘆き悲しんでいるか?というと、違うと思う。介護の方が大事だからだ。仕方なく割り切っている。

ストレス発散や息抜きのなくなった自分は、そのうち、夜中にチョコレートやスナック菓子を食べるようになった。「食べる」とても手軽。甘い物は確かに充足感が得られる。でも、食べた後にいつも後悔する。太るし体に悪い・・。

介護者が手軽にできる趣味はないかな?「趣味」なんて大袈裟じゃなくていい。贅沢は言わない。一日のうち、ちょっとだけ、ささやかな楽しみがあると救われる。「それにしても、まずいな!このコーヒーはよ?あ!ひょっとしたら、コーヒーは現状に合った趣味になるかも?」と思った。コーヒーは奥が深い、面白そうじゃないか。

どうせなら、自分で豆を挽いて飲んでみたい。いや、いずれ生豆から焙煎もやってみたい。器具一式もそんなに高くない。そこらの喫茶店以上のコーヒーを家で楽しめるかも?コーヒーの香りを嗅ぐのも、コーヒーを味わうのも母にもできるじゃないか。母と一緒に楽しむ趣味として、なかなかいいかも?と、いうことで最近、ドリップ式コーヒーを始めた。
夕飯は、野菜のポトフ○・ガーリックライス○・味噌汁○。

2009年08月26日

無性に食べたくなる物 (^^;

「ラーメン食べたいよね?うんうん、そうかそうか、すぐ作るから」一応母に問いかけるも、自分が食べたいだけ。しかも、生ラーメンは昨日、半額のを買ってあった。人間誰しも特定の物を突然、無性に食べたくなる時があるもの。言葉は言えないけど、母もそうに違いない。ひょっとしたら、母はラーメンじゃなくソウメンだったかもしれないけど。

あ、でも少しは見当が付く可能性もある。認知症になる前の母はどうだったか?ということだ。当時の食生活はどうだったのか?みかん、リンゴ、梨、柿・・情けないことに思い出せるのは、くだもの系ばかりだ。でも、私の作る食事に欠けていたのがデザート。そうだ、デザートがなかったんだ。今後は何か一品デザートを付けよう。気づくの遅いな・・。

ところでラーメン、うまく食べれなかった。一向に減らないラーメン。むしろ伸びて増えて行く有様。太麺で味も悪かったなぁ・・。スパゲティを作る時には、母のは食べやすいように1~2cmほどに折って茹でる。今回のラーメンも短くすべきだった。今度リベンジだ。と言いながら、自分が食いたいだけかも?

昨夜は、あれからぐっすり眠ってくれて助かった。朝の気温は20度前半になっている。今朝、涼しくて自分が風邪ひきそうになった。母の寝間着は昨夜から長袖。
夕飯は、ラーメン×(今後は麺を短く切るべし)・ご飯△・野菜のポトフ。

2009年08月25日

シャワーキャリーから転落 (-_-)

午前の排便は順調に済んだ。昼食後、頭が痛くて頭痛薬を飲み、猛烈な睡魔に襲われた。ちょっとだけ寝かせてくれ・・1時間眠ってしまった。この時、母には車椅子から転落を防止するゴムバンドをしていた。午後の排便をするべくシャワーキャリーへ移乗し居間へ。ゴムバンドをしなかった。自分はすぐ近くにいるから、時々姿勢を修正していた。30分・・1時間ほどしてやっと出た。もう、16時半だった。皮膚科へ行かねばならない。めんどくせ~・・行くのやめちゃおうかな?でもなぁ、次回行き難くなるし・・。

気力を振り絞って準備を始めたその時、ドンガラガッシャ~ン!床に横たわる母、便の入ったポットから溢れる汚水・・。あ~・・。母をシャワーキャリーへ・・失敗、また床に横たわる。再度トライして成功。怪我はなさそう・・ん?右目の上にタンコブ。介護テーブルから離れていたのに?床で打ったってこと?シャワーキャリーのどこかでぶったかも?片付け、掃除して17時半、まずい、早く皮膚科へ行かないと。胸下の発疹はまだ完治していない。股周辺はかなり綺麗になってきている。今までと違う薬が処方された。また1週間後に受診か・・。また私の不注意で転落した。

23時過ぎ、母は痰が絡みだした。龍角散を口中へ投入。本当は舌の上にのせ、ゆっくり溶かすもの。舌の下に入ってしまった。水を飲んでもらう。変化なし、抗生剤をお湯に溶かし飲んでもらうことに。今のところ、これが確実。乱用はしていない。そして横の体勢に。0時過ぎ、喉の状態が良くなった。今度は上向きに変更。横のままだと血行不良の影響が出てしまう。このまま朝まで眠っておくれ。
夕飯は、かきフライ○・ご飯○・味噌汁○・野菜のポトフ。

2009年08月24日

施設自ら気づけよ! (-_-;)

下の写真は、先週ホームから帰宅直後のもの。何が不満かわかるかな?

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ズボンの履き方・・。以前のデイサービスでもあって修正してもらったこと。今の小規模ホームでも頻繁に起こっていて、特に酷かったのがこれ。ズボンのウエストが胸以上ってどんだけ~?トイレ介助の時にこうなってるらしいけど、直して然るべきこと。自分がやられたら、どうなんだって?この状態の母を何人ものスタッフは見ているはず。誰ひとり気づかないってのは、いかがなもんか?と。自分も母と同様の格好で一日過ごしてみろ、と。

そして、母を送ってくれたスタッフ。車から降りると、靴のかかとを踏んづけてスリッパ状態。その危険性は言うまでもないだろう。普通なら。ケアマネさんは「直接スタッフに言ってもらっていいですよ。利用者さん側から直接言ってもらった方が伝わりやすいです」と。

私は違うと思う。こんなことを利用者側から指摘されるってこと事態が間違っている!内部で気づけ!って話。母を物扱いされることは許せない。私がその場で注意するなら、怒り爆発していた。それを回避するために我慢して穏便に修正してもらおうと思っていたのだ。汚れ役を私にやれってか?こういう気づくことはあるものの、この小規模ホームに概ね満足している。改善可能なことは改善してもらう。
夕飯は、納豆、子持ちめかぶご飯○・冷や奴○・味噌汁○。

2009年08月23日

洗濯の悲劇 (^^;

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誰だよ、こんなことしたのは!?自分・・。洒落にならないのは「俺じゃない!」と思うこと。まだ大丈夫だ。尿パッドを抜き忘れて洗濯してしまった。これをやってしまうと大変なことになる。濯ぎを3回はやらないといけなくなる。面倒なので2回にしてるけど。最近多いんだよな?今週だけで3回やっている。その前の週もやっている。以前より明らかに増えた。介助方法を大きく転換し、色々大変になった。その影響で注意力が散漫になっているのだと思う。

今日は排便の日。午前の第一弾も午後の第二弾もシャワーキャリーで完了。場をこなすことによって、だんだん慣れてきた。便が入るポットには、臭い対策として水を入れている。これは確かに効果があった。で、お湯で手動ウォシュレットの後、尻を拭く。その時に結構な量のトイレットペーパーを使う。そのままトイレへ流すと詰まるかと心配していた。でも、流すと同時に投入すると、詰まることはない。ちょっと焦ったことはあったけど。まぁ、2回に分けた方が無難だよな。
夕飯は、野菜のポトフ○・野菜カレーライス○。

2009年08月22日

巨大ショッピングセンターから脱出せよ (^^;

21時半頃、母を寝かせた。22時前、欲しい物があって買い物に出かけることに。近くのジャスコは22時までだから間に合わない。その先のイオンモール(&ジャスコ)は23時までだから余裕で間に合う。でも、ここは巨大ショッピングセンター。オープンして何年もなるけど、一度も行っていない。わざと避けていた。それは、自分が半端ない方向音痴だから。

到着~♪・・・あれ?いきなり間違えた。イオンモールの駐車場に入ってしまった。もうひとつ向こうのジャスコの駐車場に入りたかったのに。建物は繋がっているから、イオンモールから歩いて行くことに。目的のジャスコに到着~♪だけど、目的の物がない、いくら探してもない。店員に聞いても希望の物はなかった。なんだよ、別のジャスコにはあったのに。

ちょっと色々物色しているうちに、蛍の光♪帰ろう・・あれ?どこから来たっけ?さっぱりわからなくなった。ここは1階だよな。イオンモールの建物に入った時はエスカレーターで2階に上がった。じゃ、2階からイオンモールへ行けるのかな?わからん・・迷子になった!案内板を見ると1階に正面入り口があった。しょうがない、そこから外を歩いて行くことにしよう。あれ?1階なのにどう見ても2階の高さがある。車の出口通路を歩いて行くと地下に・・。エレベーターで2階へ。客は誰もいない。巡回中のガードマンに遭遇。

「イオンモールへイキタイデス、ワタシワカラナイネ・・」外人の振りをして片言の日本語で話しかけた。そ、それは冗談。ガードマンによると、1階正面入り口を出て右に歩いて行くと、イオンモールへ行けるという。うそだ、2階だったじゃん?真っ暗だったじゃん!行き止まりだったじゃん・・。もう1回確認すると、オウムのように繰り返す。ばかやろう!案内してくれよ!迷子なんだよ!とは言えず、とにかく行ってみる。真っ暗な向こうに階段らしき物発見!階段のこと言ってなかったじゃん・・降りると・・やっぱり地下じゃん・・通路発見!こうしてやっと脱出。建物的には1階が2階で地下が1階なわけで・・。

今思えば各所で判断を間違っている。イオンモールへの通路のシャッターが閉まっていたとしか思えないんだけど?今度行く時は、目印のビニール紐を垂らしながら歩こうかと・・。あ~、また伝説を作ってしまった。病院へ行けって?昔から方向音痴なのだから・・。以前テレビで方向音痴を検証していた。確か各所の目印となる情報を全く記憶していなかったような?猪突猛進・・あぁ、今の現状に反映されてるかも。
夕飯は、野菜のポトフ○・そうめん△。

2009年08月21日

久しぶりに見た母の笑顔 (^^)

母が小規模ホームから帰ってきて、麦茶を用意。襖を開けて「ばぁっ!」母は振り向いて笑顔。一瞬だったけど。いつからか、母から笑顔がほとんどなくなっていた。母の介助が大変になるのと比例して笑顔が消えて行ったような気もする。

昨日の車椅子からの転落の影響は感じられない。額や顔も青くなってないし。口からぶつかれば裂傷していたかもしれない。凄く絶妙な転落の仕方だったのだろう。母が凄いのか?フニャフニャ畳が凄いのか?

小規模多機能ホームを利用し始めて、2ヶ月あまり。腹立つこともあったし、いくつか気になることも見えてきている。今まではストレートに言っていたつもり。雨降って地固まる・・そういう意気込みだった。でも、今回は慎重にしている。以前のように、問題のあるデイを切って他を利用することができない状況にある。これも大きな要因のひとつ。

それ以外にも心境の変化が大きい。母の介助がどんどん大変になって、介護職の方々の有り難さ、感謝の気持ちが大きくなった。でも、直して欲しいことは言うけどね。ケアマネさんを通して慎重に対処してもらう。ケアマネさんや施設長さんが気づいたことにして、修正してもらうのが良さそうに思える。自分が手本を示したことによって、何も言わずとも修正してくれたこともあるんだよな。
夕飯は、野菜のポトフ○・野菜カレーライス○。

2009年08月20日

一瞬の油断 車椅子から転落 (-_-)

午前中、排便が済みベッドへ。ズボンをしっかり履かせ大きな車椅子へ移乗。母を居間へ。ここでベッドのゴミが気になり、片付けようと思った。その瞬間、ドスッ!車椅子から転落してしまった。車椅子の座面を前上げにしなかったせい。おでこから床に転落した様子。赤みがあるものの、怪我はなし。大丈夫そう。床がフニャフニャの畳のおかげ。母の寝室の床はフローリングに絨毯。ここでベッドから転落した時は、顔が青くなったっけ・・。

母は上半身を前後に揺らす行動が頻繁にある。これが危ない。目を離すと前方に突っ伏している時がある。車椅子の座面が、今日のように前下がりだと転落してしまう。シャワーキャリーは傾斜もできない。まるで目を離せない。実は数日前から、この対策を試みていた。

上半身を車椅子に紐でくくりつける?身体拘束になってしまう。前後運動もでき、それを少しだけ抑制し転落を防げる物・・ゴムバンドにした。ただ、今回は移乗直後でゴムバンドをする前だった。幸い母は転落後も異常なし。ほんとに自分はポカが多いな・・。

新型インフルエンザが大流行の兆し。65歳以上の方は感染リスクが低いらしいのだけど?私の方が感染する確率は高いのは確かだろう。母は気管支炎持ち。感染したら非常にまずい。乗り越えられるのか不安・・。
夕飯は、野菜のポトフ○・そうめん×。

2009年08月19日

嫌だとか、やりたくないとか、面倒くさいとか・・甘えは通用しない (・_・)

ここ数ヶ月で母は一気にレベルダウンした感じ。それに伴って介助方法を替える必要があった。でも、自分は容易に替えられなかった。ベッドでの着替えも「面倒くさい」と思った。噎せの対処も「深夜に体位変換だとか現実的じゃない」などと思った。トイレの問題では、「面倒くさいな、トイレはトイレだ」と執着した。

次々と失われて行く機能・・その現実を受け入れたくなかったのも事実。しかし、厳しい現実の前では、そんな甘えは通用しなかった。やりたくなかったことも、結局のとこ今はやっている。やらざるを得ない。深夜に噎せ返っている母を放置などできない。命が掛かっている。やるしかないんだよ、やるしか!

私のささやかな抵抗も、意味がなかったわけじゃない。「精一杯抵抗した」という自己満足はできたのだ。馬鹿げてるのもわかってる。本当は一歩前に対処すべきことなのだ。
夕飯は、野菜のポトフ○・いわし刺身×・ご飯○・味噌汁○。

2009年08月18日

皮膚トラブルとの闘い (-_-)

午前中、シャワーキャリーで排便後、シャワー浴。午後、皮膚科へ行くので綺麗に。胸下の湿疹は沈静化してきたものの、股周辺を掻きまくるので診てもらうことに。

昼食後、排便の第二弾に備え準備。ベッドへ寝かせてズボンを脱がそうとしたら・・臭いが・・。一歩間に合わなかった。また、シャワーかよ・・。シャワーキャリーに移乗し、浴室へ。排便後、本日二度目のシャワー浴。ベッドで着替え中に失禁・・。ぐちょぐちょ・・。

ちょっと休んで皮膚科へ。胸下は「もう大丈夫でしょう」と。股周辺は、別の軟膏が処方された。それと、右足親指の爪が、どうも爪水虫くさい。診てもらうと、「これは違うと思います。変形が影響しているのでしょう」とのこと。また1週間後に行かねばならない・・。

まだ深夜に痰でむせることが時々ある。これがあると、双方ダメージが大きい。自分は眠れなくなってしまう。母の介護、今より大変になることはあっても、楽になることはないだろう。危機感を感じているけど、思考能力がない感じ。どうする、どうする、どうするんだよ?知らん知らん知らん・・。
夕飯は、野菜のポトフ○・カレーライス×(肉が歯にはさがり口中で停滞)。

2009年08月13日

介助方法の切り替え (-_-)

介助歩行も困難になり、立位保持さえできなくなった。今までの介助方法は通用しなくなった。私も観念した。できないのだ。既に介助の方法を切り替えている。朝、ベッドの横にシャワーキャリーを設置。ベッド上で衣類を脱がして体を拭く。そしてシャワーキャリーへ移乗。衣服を着て居間で排便。

排便にきりがついたら、お尻を洗う。台所用洗剤の空きボトルにお湯を入れてウォシュレットのように利用している。そして、ベッドに新聞紙を敷き、横に。尿パッドと布パンツとズボンを履く。今度は大きな車椅子を持ってきて移乗し、一段落。シャワーキャリーの便を処分して片付け。もう汗だく・・。

午後は、食後に第二弾があることが多い。大きな車椅子でベッドに。新聞紙を敷いたベッドに横になってもらう。ズボンをおろしてシャワーキャリーに移乗・・。午前の便の臭いが強かったので、便のポットには水を入れることにした。尿失禁の時もベッドで着替えとなった。とにかく、トイレ介助が厄介になってしまった。しんどい・・の一言に尽きる・・。

在宅独り介護の状況、この方法がいちばん安全なのだ。嫌だろうが面倒だろうが、しんどかろうが、厳しい現実の前ではやるしかない・・。しかし、立位保持ができない、ということがこれほどハードになるとは考えもしなかった。いや、考えたくなかった、と言っていい。
夕飯は、揚げ餃子○・もやし炒め○・ご飯△・味噌汁○。

2009年08月11日

早朝の恐怖 (-_-)

最近は、早朝の噎せで起こされることが度々で睡眠不足。それと、介助が大変なため、体のあちこちが痛い状況だった。

今朝の5時過ぎ・・「ん?地震?あ、あ、あ、で、で、でかい~!つ、ついに東海地震が来たのか!?」母の所へ駆け寄って呆然としていると地震は治まった。長かった。揺れている照明や天井を見ているだけで何もできなかった。テレビを見ていると、凄いことになっていた。震度6弱だって?え?確かに今まで体験した地震の中では最大だったけど、震度6弱ってことはないよな?そのうち、自分の地域は震度4だとわかった。震度6以上って本当に恐ろしいことだろう。

母も目覚めたものの、また眠ってしまった。自分はしばらく心臓がドキドキしていた。何しろ40年ほど前から「東海地震が来る」と言われ続けている。でも、大地震が起こるのは他の地域ばかり。地震に怯えている。今日の地震は東海地震の1/200でしかないという。我が家は倒壊してしまう可能性が高い。無事で済むわけない。このままじゃまずいよな・・。

再び眠ると起きれないので、そのまま起きていた。今日は排便の日。シャワーキャリーに移乗して居間で排便。訪問リハビリの人と再度話し合った結果、シャワーキャリーを活用することが現時点では得策ということになった。なった、というか説得された。遅かれ早かれそうなるとは自分でも思っていた。

で、排便だけど・・う~ん、量が少ない。粘りに粘って、10時過ぎ再度排便。しかし、少し硬い便で出にくい模様。ふと母の顔を見ると顔色が悪く、汗をかいていた。便ショックだ!ベッドに移乗し、足を高くして寝かせタオルケットをかけた。便を採取。これで二日分の便が採れた。尿はまだ採れない。主治医の病院は明日から夏休みなので、早急に届ける必要がある。母の回復を確認し、病院へ届けた。

昼食後、シャワーキャリーに移乗。便の第二弾を待った。ところが尿だけ。尿を採取できてしまった。母を車に乗せて主治医の病院へ届けた。そして、今度は皮膚科へ。今月初旬から胸下に湿疹ができていた。一度、治りかけたものの、また酷くなってきていた。組織を採取した結果、カンジタなどの菌はなかった。更に細菌検査をすることに。結果は1週間後。軟膏をもらって、母を車に乗せた。こ、この臭いは・・。

家に戻って17時。もう一人いてくれたらなぁ!こんな時、小規模ホームにヘルプを頼めるのだけど、いざ!となると頼みにくいよな・・。シャワーキャリーに移乗してシャワー浴。あ~!疲れたよー!

夕食作りたくない・・。簡単に作れる食材も、冷凍のストックも切らしていた。幕の内弁当を買ってきた。ところが、がんもどき・鮭・しいたけ・・ことごとく口中で停滞。指を口に入れて排除の繰り返し。今日も疲れたよ・・。
夕飯は、野菜のポトフ○・幕の内弁当(がんもどき・鮭・しいたけ×)。

2009年08月05日

肉体労働 (´_`)

先月から朝の着替えもベッド上で行っている。そして、現在のトイレ介助の方法は、車椅子でトイレまで行き、便座に移乗している。大きな車椅子の肘掛けとアームを外すと、ギリギリでトイレに進入できることもわかった。便座の座り位置を少し前に移動すれば尻も拭ける。でも、立位保持できなくなった重い母を狭いトイレ内で介助するのはかなり大変。ただ、慣れればもう少し楽になるはず・・などと試行錯誤中。

介助につまずくと凄い体力を消耗してしまう。その疲労レベルってのは、まさに肉体労働。過去、引っ越しや重い部品のライン工などのきつい仕事の経験もある。母の介助はそれに匹敵するレベルの疲労感を伴うような・・。とにかく母のトイレ介助後はヘロヘロになる。先月末の日記は、トイレ介助に手こずり疲れ果てた。

これじゃ体が持たない、馬鹿げてる!と、シャワーキャリーでの排便も再度試みたりもした。でも、まだ「トイレはトイレで」という思いに囚われている。もっと場をこなせば、も、もう少し楽になるはず・・?介助は双方に優しく安全であるべき。わかってる、何やってんだ・・。最終的には、シャワーキャリーに落ち着きそうな予感。
夕飯は、野菜のポトフ○・そうめん△。

2009年08月04日

健康診査 気管支炎は治らない (-_-)

現在の主治医になってから、母の健康診査は毎年やってもらっている。今年は面倒くさいなぁ・・と後回し。午後、意を決して受けに行ってきた。胸部レントゲンは2回目に成功。心電図は、動きまくって測定不能。でも、不整脈があると指摘された。胸部レントゲンは、昨年と変わらず。

「深夜、痰が出るようで噎せることが度々あります。抗生剤を飲んだ夜は治まります。関係あるのでしょうか?」「あります」「気管支炎は治らないものでしょうか?」「治りません」「・・・」「肺炎に気をつけましょう」
帰ろうとすると、母が先生にススッと右手を差し出した。先生も手を出して握手して終了。採尿と採便は自宅で採取できたら持って行くことに。

帰宅後、疲れて睡魔と闘っていた。夕食準備前、10分だけ横になろう・・と寝転んだ。母の声で目覚めると1時間経過していた。慌てて夕食を作った。
夕飯は、ミニトマトのチーズ焼き△。
プロフィール
はじめまして!Tomy(S39年生まれ・男)です。認知症の母(昭和2年生まれ)を在宅介護(2人家族)しています。当初はレビー小体型認知症で、進行した結果、レビー小体型認知症・アルツハイマー型認知症・脳血管性認知症の混合型に至ったようです。家族が認知症になったら、どうしたら良いのでしょうか?今後、どのようなことが起こり得るのでしょうか?認知症介護の問題に直面している方を応援しています。

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