aamall

2007年03月

2007年03月27日

精神障害者の申請は・・ (・_・)

厄介な臭いがプンプンする。役所もこの話を質問した時に「高齢者は介護保険でどうぞ」って言われたほど。やる気なしの役所の人間に突っ込んで、突っ込んでようやく情報が得られたわけだ。

役所が言うには「申請には自立支援指定医療機関に指定されている病院で、精神科歴3年以上の医師の診断書が必要」とのこと。まぁ、認知症の主治医は、脳神経の専門医が妥当なんだろうし、これを申請するために精神科を受診するのも気が引ける。受診したところで、医師の理解と同意を得られる保証はない。脳神経の主治医が精神科医でもあれば、こちらとしては好都合な環境なんだけど。

ということで、認知症の精神障害者の申請は、厄介な条件があって、なかなか難しいと思う。とにかく主治医を探さないと。介護認定が1月で済んだばかりなので、タイミングとしては良かったかと思う。
夕食は、カニ雑炊・味噌汁・牛乳。

2007年03月26日

主治医がいなくなった! (-_-)

先週、主治医に「おむつ使用証明書」の記入を依頼しておいた。今日、受付から電話「しばらく受診されていないのと、先生が本日で終わりなので、書くことができません」は?なんだよ、それ!それに、受診は半年に1回程度で良いって言ったのは、その医師なんだし。

去年の4月頃、介護施設選びが精一杯だった。今は利用してないけど、デイケアの病院の医師にお願いした。しかし、この病院は非常勤の医師が多いみたいで、主治医は非常勤で、月曜の午後しかいないってことが後からわかった。その後、色々あってデイケアを中止。「しまったなぁ・・」と思っていた。しかし、医師が辞める当日に別件のことでわかるなんて、ちょっとひどいんじゃないか?「別の病院で主治医を探す場合、紹介状はどうなりますか?」って聞くと「電話頂ければ紹介状を出します」と言う。

その後、主治医がいなくなるのに紹介状なんて出せるのかな?って疑問。書いてもらえなかった「おむつ使用証明書」を取りに行きがてら、再度確認することに。地域医療連携室という部署の人に事情を話す。「介護保険で主治医になっているのに、前もって知らせてくれないと困る。別件で辞めることがわかったけど、これがなかったら知らないままでしょ?突然辞めることになったんですか?」「申し訳ありません。知らなかったもので・・」「電話で話した同じ部署の人が、紹介状は出せるって言ってましたけど、先生がいなくなるのに出せるんですか?」「わからないので調べて連絡させて頂きます」と、まぁこんなアホらしい状態だった。

通常なら、2週間~1ヶ月前には辞めることはわかっているはずなんだよな?その後、電話があって「先生は医大にいるので、そちらに行ってもらえば紹介状は書いてもらえます」とのこと。医大からの派遣?なんだかよくわからないよ。「○○医師は当院の非常勤を辞めることになりました。今後、○○医師は医大にいます。主治医を変更するか、引き続き医大でお願いするか、検討をお願います。」などと、前もって連絡するのが筋ってもんだろう。

いい加減だよなぁ。デイケア利用時からトラブル続きで、ここは良くない臭いがプンプンしていた。他からも良くない情報も聞いている。もう、ここには関わらない方がいいな。先日の精神障害者の申請の件のこともあるので、ちょうど良かったのかも?主治医が非常勤というのも考えものだったし。どうせなら、これを機に自立支援指定医療機関に指定されている病院を探そうかな?できるなら、デイケアもやっていない開業医がいい。なんか、今までの経緯からして、そういう所を避けたくなってしまうんだよな。
夕食は、カレーライス・味噌汁・牛乳。

2007年03月23日

精神障害者の申請 思わぬ落とし穴 (-_-)

母の主治医は内科。認知症の医療的な治療は望んでいないので、内科の方を重視したい、と思ったからでもあった。認知症の主治医が内科でることが特に異例ということじゃない。以前にも書いたことがあるけど、認知症でも精神障害者の申請ができる。兄の扶養だった母を外し、世帯も分けたので精神障害者に認定されればメリットは以前よりあるはず。すでに書類はあるので、非常に重い腰を上げて申請の準備をしていた。主治医に診断書を書いてもらって申請すれば良いと思っていた。

しかし、診断書の内容を見ていて主治医が内科であることに不安を感じた。精神障害を認めるかどうか、5段階の評価項目があったからだ。念のため、保健所の担当に聞いてみた。すると・・「内科でも構いません。ただし、その医師が過去3年以上の精神科歴が必要です。そして、その医療機関が自立支援指定医療機関に指定されていないといけません。そうでない場合、申請されても受理できません。まず、その病院が自立支援指定医療機関の指定を受けているかどうか?そして、医師が書ける資格があるかどうかを確認してください。」な、なんだってぇえ!

そんなこと前、説明聞いた時には何も聞いてない。早速、母の主治医の病院に確認。担当者がさっぱりわからないようで、しばらくして「精神科もないので、指定は受けていません」ぎゃぁ!じゃぁ、私の地域の自立支援指定医療機関はどこなんだ?と、ネットで調べると内科でも指定をとってる病院があったりする・・。精神科があるとか、ないとかの問題じゃないようなんだなぁ?その医師は精神科歴があるってことかな。

と、いうことで現時点で精神障害者保険福祉手帳の申請はできないことがわかった。どうしても申請するのなら、自立支援指定医療機関に指定されている病院を探し、その医師が診断書を書ける資格があるかどうかも確認しないといけないみたい。尚かつ、受診してから半年以上の経過を経てからになる。大体がね、主治医を選ぶ時に、その病院が自立支援指定医療機関であるかどうか確認する人なんていないだろう。

以前、保健所に聞いた時、「認知症で障害者認定をされた方は少ない」と言っていた。今日、その理由がわかったよ。現実とはかけ離れた申請基準を設けているからだろう。そもそも認知症を精神障害に入れていること事態が疑問。認知症は、脳が萎縮するためにさまざまな身体的障害が発生するわけだから。精神を患ったのとは違うと思うし?脳が萎縮した結果、どんな機能を失ったのか?問題はそこだと思う。

この前、九州の方で生活保護を申請しに来た人に申請用紙さえ与えず門前払い。その後、その人は孤独死していた、という問題があった。生活保護が増えると財政的に好ましくない、ということで生活保護を申請者を門前払いしていた、という。役所にそんな権限は一切ない。認知症患者が障害者申請するにあたり、狭き門としているのは、わざとじゃないか?って勘繰ってしまいたくもなる。

あ~ぁ、主治医を変更する?新たに精神科を受診する?面倒くさい・・なんて厄介なんだ・・。何をやってもうまく行かないよ。認知症介護、踏んだり蹴ったりだな!
夕食は、豚丼・味噌汁・牛乳。

2007年03月08日

ショートステイ (・_・)

出血もなくなり、歯肉炎の根源だった折れた歯も抜いた。ずっと先延ばししてきたショートステイを利用する意思が固まった。ケアマネさんにお願いすると、私の気が変らないうちに・・と、パッパッと予約完了。平日は空きがあるようだ。まず、来月初めに1泊2日で利用することになった。今後利用するにしても、状態を把握するために、とにかくお試しで利用しておく必要がある。現金なもので、いざ予約すると少し楽しみになってきたりして・・。

ショートステイは、数年前(もう何年前だか忘れた)に2泊3日で利用したことがある。しかし、2日目の夜に暴れて施設が手に負えなくなった。他の利用者さんに危害を及ぼす可能性があって、夜中に引き取りに行った。当時の母は凄かったので無理もないかと・・。連れて行った時も、いつもと違うことを察知して暴れたのだった。
夕食は、カツオの叩き・ご飯・味噌汁・野菜ジュース。

2007年03月07日

しんどい (-_-)

しんどい・・夕食作りから母をベッドに寝かせるまでが特にしんどい。毎日のことながら、なぜか今日は「しんどい、と言う言葉がぴったりだなぁ」なんて思いながらやっていた。「いかん、いかん、こんなこと思ってやってちゃ」とも思ったり。この気持ちに母は反応したのか、どうも不穏な感じ。昨日、抜いた歯のとこが痛むかな?トイレかな?と勘繰ったもののわからず。多分、私の感情が伝わったせいなんだろうなぁ・・。本当に介護者の感情はよく伝わる。
夕食は、さば缶詰・ご飯・味噌汁・野菜ジュース。

2007年03月06日

2本歯を抜く (^-^)

歯肉炎がどうしても治らないので、また歯医者に行ってきた。前歯の折れた歯の根元からバイ菌が入り、炎症しているのだろう。母も痛そう。レントゲン撮影の後、「折れた歯を抜いた方がいいかもしれないですね」「はぁ・・」

なんで浮かれない返事なのか?というと、今までの歯医者では「本当は抜いた方がいい」と言いながらやってくれなかった。だけど、そんな歯医者も責めるわけにもいかない。その歯医者はそこまでが「自分が安全に治療できる限界」だってことだろう。障害者歯科協力医であっても、障害者の歯科治療を専門にやっていた経歴のある今の歯科医と同じようにはできないだろうから。

特にひとつ前にお世話になった歯科医は、抜歯が必要な時は「総合病院の口腔外科を紹介しましょう」と言ってくれていた。こういう「自分ではできないけど、ここを紹介します」というフォローをしてくれると、本当に助かる。以前、断られた総合病院の口腔外科、一般歯科の紹介だと断れないはずだ。

話は戻り・・消毒だけで終わるんだろうなぁ・・と、内心思っていた。「抜きますか?」え?やってくれるの?「お願いします!」前回の診察以降、デイサービスにも協力してもらい薬を塗ったり懸命にやってきても治らなかった。治らなかったけど、ひどくならなかったのは、しっかりやっていたからだと思う。

消毒、麻酔の後に抜歯。母は少し声を上げただけだった。「2本抜きました。最初は出血あるかもしれませんが、これで良くなるでしょう」その後の出血もそれほどなく、一安心。下のぐらついた2本の歯は、様子見するしかないようだ。どうにか立ち直ってくれないもんかな。
夕食は、納豆雑炊・味噌汁・野菜ジュース。

2007年03月05日

レインポンチョ (^-^)

5
雨の中、レインポンチョを被って帰宅。

車椅子を使っていると雨だと大変。この前の出血事件の時に懲りてしまった。病院の作りが悪く、駐車場から入り口まで距離があり、しかも結構きつい上り坂でそして雨。初めての病院だったので状況がわからなかった。傘をさしていては無理。結局、濡れないより安全を優先し、申し訳程度に母にタオルをかけて連れて行った。

雨の中、傘さしてタオルかけたり、どうのこうのと神経を別に使うのは好ましくない。福祉用具で車椅子専用のがある。でも、安いので3000円台、高いので12000円台と、とても高い。私はホームセンターで800円位のを購入。今までずっと探していて、やっと見つけた。
夕食は、肉豆腐・納豆・ご飯・味噌汁・牛乳・サラダ。

2007年03月04日

歯肉炎 (-_-)

なかなか治らない。食後、歯磨きもして薬も塗ってるのに。デイサービスだってしっかりやってくれている。今や下の歯2本までもがぐらついている。入れ歯のブリッジの掛かった重要な歯なんだけど。今までも、こうやってぐらついた歯は、全て抜けてきている。食い止めることができるだろうか?また歯医者に行ってこよう。
先日、私が裾上げしたジーパンを洗ったらこんなことに・・。
夕食は、餃子・ご飯・味噌汁・牛乳。

2007年03月02日

アルミとアルツハイマー (・_・)

テフロン加工された安物のフライパン。表面が剥がれてきていた。それでも使っていたけど「これってやばいだろ?」いかがわしい物質が体内に入るのが怖くなって使用中止。どうせなら、鉄分の補給にもなって長持ちする鉄のフライパンに買い替え。鉄の調理器ってのは、料理に鉄分が溶出して体に良いそうだ。特に貧血予防に効果があるとか。幸い母は貧血じゃない。鉄瓶でお湯を沸かしてお茶を飲むって、時代遅れに感じがちだけど、実はそれなりに意味があったんだなぁ。

鉄分・食事の検索結果

鉄の食器から、軽くて安くて、熱伝導率が良いアルミ食器が普及。しかし、アルツハイマーの人の脳には、アルミの蓄積が多いという。聞いたことのある人もいると思う。これも諸説あって、今ではWHOも業界も完全に否定されているそうだ。でも、依然として疑いを持って因果関係を研究している人もいる、っていうのが現状らしい。

外食すれば厨房ではアルミ食器で調理されてもいるだろう。出来合い物のおかずを調理しているのもアルミ食器かもしれない。ラーメン屋のスープを煮る寸胴鍋だってアルミに違いない。「これはアルミ食器で調理しましたか?」なんて聞くほど神経質になるのも全くナンセンス。水道水にも含まれているし。私が知らないだけで、アルミは色々な物の中に入っている。完全にアルミを避けるなんて無理。

家は母が炊事していた頃からアルミ鍋ばかりだった。ひょっとして?と、少しは思ってしまう。でも、今だに家にはアルミ鍋・大が1個、小さな片手鍋が2個、蒸し鍋が1個ある。すっきり処分してしまおうかな?使用頻度が多いのは鉄製にしてある。私の個人的な意見としては、アルミは人間の必須栄養素じゃないので、できれば避けたい。せめて家庭だけでも・・と思う。増してやアルツハイマーの母を介護している身なわけで、真相がどうあれ避けたくなるのも無理ないかと。あくまで私のひとり言。

しかし、今朝は参ったな。夜用のパッドを取り出すのを忘れて洗濯してしまった。気がついて洗濯機にダッシュしたものの時既に遅し。中は大変なことに・・。ムキ~ッ!
夕食は、いわし缶詰・ご飯・納豆・味噌汁・野菜ジュース。

2007年03月01日

激動の時代を乗り越えてきた世代 (・_・)

母は戦争という過酷な時代を乗り越えてきた世代。17~18歳の頃、軍需工場で働いたという。慣れない機械で手に大怪我をしたそうだ。私が子供の頃には、その傷は確かにあった。でも、今見たら傷がない。長い年月で消えたみたい。空襲警報より先に飛行機の爆音がしたという。お茶殻も食べていたとも聞いた。兄も兵隊に徴用されたものの無事帰還している。私が母から聞いた記憶は、これしかない。

父は全く話さなかった。明治・大正・昭和・平成と生き抜いてきた父だけど、過去のことは一切何も話さなかった。ただ、近所の人から少しだけ話を聞いたことがある。「あの家なら大丈夫だろう」と、近所の人が父の家に荷物を預けていたそうだ。しかし、皮肉にも父の家に焼夷弾が落ちて焼けてしまったという。と言っても終戦時、結局市内の92%が被害を受けたというのだから、まさに焼け野原だったわけだ。

以前の施設でも利用者さんから、戦争の体験談を聞いている。私からそういう話題に持っていくことはないけど。ただ、利用者さん同士の会話では、戦争時代の話題も稀にあった。満州から命からがら逃げてきた人。有名軍人の家に奉公に行っていた人。兵隊で船に乗るたびに「もう命はない」と覚悟した人。「わしは人を殺したー!」と大声で叫ぶ人もいた。強烈な人だったけど、きっと軍隊での出来事がトラウマになっていたんだろう。戦後の復興もこの世代の人達が頑張ったおかげであって、大切にしてあげないとなぁ!と、今更ながら思う。
夕食は、カツオ刺身・ご飯・納豆・味噌汁・牛乳。

プロフィール
はじめまして!Tomy(S39年生まれ・男)です。認知症の母(昭和2年生まれ)を在宅介護(2人家族)しています。当初はレビー小体型認知症で、進行した結果、レビー小体型認知症・アルツハイマー型認知症・脳血管性認知症の混合型に至ったようです。家族が認知症になったら、どうしたら良いのでしょうか?今後、どのようなことが起こり得るのでしょうか?認知症介護の問題に直面している方を応援しています。

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