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2006年12月

2006年12月31日

何のサイン? (・_・)

夕方から母がベラベラベラベラ・・・と喋りだした。意味は不明なんだけど。お腹が空いた、というサインだと思った。みかんを食べてもらい、その間に夕食の準備。「お腹が空いた?」と聞くと珍しく頷いた。ところが、いつもと違う。

いつもと違うのは3つあった。兄が一緒に食べていること。出るはずの便がほんの少ししか出なかったこと。そして食事中、あまり話さない母が食べながらずっと話していることだった。珍しく兄がいる影響だろうか?便が出そうで出ないせいだろうか?お腹が痛いのだろうか?聞いてもわからない。

食後、体温を測ると37度。やばい、風邪なのか?念のため風邪薬と整腸剤・便秘薬・ビタミン剤を飲んでもらい就寝。ベッドに入ると、珍しくすぐ眠ってしまった。何のサインだったかは推測するしかない。何事もなければいいけど。

今年も色々あったなぁ。皆さんも大変だったことでしょう。良いお年をお迎えください。平和な正月であることを願っています。
夕食は、そば・寿司・野菜ジュース。

2006年12月30日

排便コントロール (・_・)

退院してから、排便パターンが変ってしまった。入院中は便秘薬のせいで毎日のように出ていた。退院日に、その薬をたくさん処方してもらった。入院中のパターンを継続させようと思ったけど、なかなか難しい。便秘薬を1錠にするか2錠にするか迷う。量によって柔らかくなり過ぎたり。その上、デイサービスで排便があったか不明だから始末が悪い。デイサービスに排便があったら記載してくれるようお願いした。以前、飲んでもらっていた漢方便秘薬もデイに行かない日の前日に飲んでもらっている。この量も変ってきた。以前は4錠だったのが、最近は2錠。

やはり前のパターンに戻そうかな。以前、効果あったサツマイモを食べてもらおう。実はサツマイモを始めた頃、入院してしまったのだ。以前のようにデイに行かない前日に漢方便秘薬を飲んでもらい、サツマイモも食べてもらう。病院で処方された薬は中止にしよう。以前、効果あったサツマイモをなんでやめたかって言うと、しばらくして効果がわからなくなったから。それと季節によって入手し難くなったからだった。

そう言えば、母が確実に笑うことがある。それは、母の膝の上に腰掛けること。食事中は大体言葉が少ない。睨まれながらの食事介助も度々。食べることに集中しているせいかもしれない。食後、母の膝の上に腰掛けると表情が一変する。「ここ空いてますか?」とか言いながら、母を椅子代わりにしてしまう。陰険な雰囲気を打破するのは、これがいちばん。なんで喜ぶんだろな?一歩踏み込んだコミュニケーションが嬉しいのかな?
夕食は、ぶり刺身・味噌汁・トマトジュース。

2006年12月28日

大根足 (^-^)

貴方のことじゃありません。退院してから、母の足の血色が凄く悪かった。寝る時とかに見ると、真っ白と言っていい。まさに大根足で気味が悪いほど。以前から、心臓が肥大化していてポンプ機能が弱い、と複数の医師から指摘されていた。だから、母の足は夕方にむくみが出る。しかし、退院後の血色悪い白い足は怖かった。

デイサービスには「午後30分でいいから足を伸ばして座らせてください」と、伝えていた。もちろん家でもそういう状態の時間を作るし、クリームも足に塗ってマッサージしていた。でも、最近は凄く血色が良くなっていることに気がついた。デイサービスで、マッサージやフットバスとかしてもらえるのも効果的だったんだろう。家でも湯たんぽやったり、クリーム塗ってマッサージしたりした甲斐があったかな。
夕食は、寿司・味噌汁・トマトジュース。

2006年12月25日

車に乗れた (^-^)

今日はデイの後、歯医者だった。前歯がまた欠けてしまったのだ。幸い入れ歯には影響はない。

退院後、まだ私の車に乗せたことがなかった。また介護タクシーってのも嫌だった。ここ最近の母の状態を見ていると、本当に以前の状態に近づいている。少し不安はあったものの、車の助手席に乗せることは可能だと思った。デイサービスに迎えに行き、私の車に以前のように乗車させることができた。やった、これで不便がひとつ解消された。

そして歯医者。レントゲンを撮り「特に痛がる様子がなければこのままで良いと思います。治療するとなると、麻酔打って結構大変になります。今、無理して治療することはないでしょう。」消毒と入れ歯の調整をして終了。痛みがあるか否かは、残念ながら母にしかわからない。私が見た限り痛がる様子はない。この先生の言う通りにしよう。散々苦労して辿り着いた良い歯医者だから。もう歯医者難民になるのは懲り懲りだし。

夜、クリスマスプレゼントにトレーナーを渡すも無表情。ショートケーキはおいしそうに食べていた。
夕食は、オムレツ・ショートケーキ・トマトジュース。

2006年12月24日

何やってんだか・・ (-_-)

朝、家中を暖房して暖めてからトイレ誘導、排便確認!その後、浴室でシャワー。部屋に戻ってクリーム塗って着替えの最中、尻から黄金の物体確認!「ちきしょ~!」トイレ誘導し、しばし待つ。その間に洗濯。部屋に戻り朝食後、一服。しかし、何か黄金の臭いがする。気のせいかな?いや、やはりする!母の元をクンクンすると、やはり!ズボンの中を見て唖然。被害甚大なり。「またかよ!ちきしょ~!」また浴室でシャワー。クリーム塗って着替え。そんなこんなで、昼だよ・・。

下痢してるわけじゃないけど、退院後、排便パターンも変り便秘薬の飲ませ方・量も変化している。まぁ、手を上げることもなかったけど、ブリブリ文句言ってたなぁ・・。なんか今日は一日トイレ誘導ばかりしていたような気がする。それも誘導した時には出ず、毎回失禁だった。
夕食は、ハンバーグ弁当・味噌汁・トマトジュース・みかん。

2006年12月23日

悪魔と天使 (・_・)

今朝、母を起こして服の着替え。ズボンが大量の尿を吸った夜用のパッドの重みでズルズルと下がる。母はそれを上げようとする。「着替えるからいいって」母の手をテーブルの手すりに掴ませズボンを下ろし、お湯を含ませたタオルでお尻を拭く。その最中に茶色の物体が!「おい!」途中で止まるわけもなく、モリモリと出て下のズボンとパンツの上に落下・・。見てるしかない。

「すっきりしたね、良かったね」と笑って言うのが介護の優等生。劣等生の私は「あ~、も~~!ばかやろう!言えよ!」と罵声を浴びせてしまう。何年経っても馬鹿なままだ。頭の中では「言うな言うな!やめろ!」って抑止しようとする自分もいる。「俺はこの出来事に腹立って母に言ってるんじゃない」などと言い訳して母に「ちきしょー!ばかやろう!」と言ってしまう。平常心を失い暴走する自分と、それを食い止めようとする自分とのせめぎあい。

こうなる前に、もう一人介護者がいればバトンタッチして事は穏便に済むかもしれない。その状況にない私は、自分の中の強力で暴力的な醜い悪魔と、実に弱々しく頼りない天使が闘う。大抵の場合、天使は悪魔に吹っ飛ばされる。私みたいな介護者には、アドレナリンを抑制する薬でも飲んで介護にあたるべきなのかもしれない。

話は戻って、第2弾があるかもしれないので、母をトイレへ誘導。デイサービスの迎えも迫っているので、そこで朝食。トイレが塞がってしまったので、便の始末をどうしようか?とウロウロ。別の部屋に移し、母を送り出すことを優先。どうにか迎えに間に合った。あまり焦らず、迎えは少しだけ待ってもらう位に思った方が良かったな。それも含めて頭では何もかもわかっているのだけど。

テレビで専門家が「適切な介護をすれば」なんて軽く触れるだけで終わっている。机上の論理は、あまりに軽くて怒りすら覚える。実はそこがいちばん大切であり、難しいんじゃないだろうか?臭い物には蓋をしろ的な番組や専門家は好きじゃない。

施設職員だった頃、失禁した利用者に罵声を浴びせるわけもなかった。なぜ親だとこうなのか?仕事だから?他人だから?親だと甘えがあるから?親を大切に思っているのに?同じ介護でも全く別物ってことだろうか?どうして同じようにできないのだろう?親だからこそ?
夕食は、じゃこ入り粥・ぶり刺身・トマトジュース・みかん。

2006年12月20日

母完全復活 (^-^)

と言ってもいいだろう。家では以前と変らない生活してるし、デイでも足腰がしっかりしてきたと言う。なぜかわからないけど、母はいつもベッドに入ってしばらくすると、凄くにこやかになる。椅子に座っている状態では、なかなか見られない光景なんだよな?ベッドがいちばん快適なんだろか?意味不明の言葉を延々話して機嫌がいい。入院していたのが嘘のよう・・。

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23時過ぎ、なぜかハイテンションな母

さて、湯たんぽは、あれからすぐ使用再開している。布団と布団の間に入れるようにし、位置も注意している。足元は朝までポカポカのはず。
夕食は、じゃこ入り粥・納豆・味噌汁・牛乳・みかん。

2006年12月17日

スロープを作れ (^^;

母が退院するのに合わせ、玄関にスロープをレンタルした。母の脚力が以前と同様に戻れば返却すれば良い。だけど、玄関の階段は結構危ない。降りる時はいいけど、デイから帰って来た時には疲れもあって足が上がり難い。ヘルパーさんに手伝ってもらい上がっていた。これも生活リハビリとも思ったりしたけど、もう放置しておけない。

スロープの単位は月600点(600円負担)。レンタルしている福祉用品の多さに危機感を持っていた。ベッドとその付属品(850点)・エアマット(800点)・車椅子(800点)・スロープ(600点)、合計3050点にもなる。今回レンタルしたスロープ、月600円負担だけど、限度額オーバーした状態になれば月6000円に化ける。購入すると、10万はする。別のアルミのレール式のでも5万前後。レール式はどうも怖い。介護保険での住宅改修は、諸事情により却下。ならば自分で作るか・・ということで、昨日から作っていた。

ただ、安全性がなければ元も子もない。母の体重が63kg位、車椅子が約18kg、私の理想体重が65kgで合計146kg。考え方がおかしいって?前にステッパー買ってダイエットしてるんじゃないのかって?なんのことですか?知りませんな~、そんな物。第一私は一工業製品としての優れたデザインに惚れ込み、オブジェとして購入したのですから。使用目的なんてどうでもいいことです。一緒に購入したサウナスーツなんて、やたら暑いだけですし。

話を戻して・・余裕を見て最低200kgの荷重に余裕で耐えられる物でなければいけない。玄関が狭くなるので、折りたたみ式にしたいが、面倒なので却下。固定式ではなく、せめて動かせる物。今、レンタルしているスロープを参考に、折りたたみ抜きで木材で作ることにした。色々考えて構造を決めた。ホームセンターを周って材料を調達、約2万円。そしてひたすら作り、塗装して完成。次はベッドと車椅子ですな。手ごわいですな、無理ですな・・。ただ、電動ベッドは、今や凄く安い市販品も出ているので、考える価値はありそう。

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 これなら大丈夫。裏面は角材で頑丈に補強。
手摺りも前に自分で取り付けた物。

NHKの「認知症…そのとき,あなたは(1)」を観た人も多いんじゃないかな。認知症(アルツハイマー型)の薬、アメリカでは進行を食い止める薬が開発中。早ければ2年後に認可とか。だけど、薬の効果があった人を紹介するのは良いけど、いいとこ取りって感じが・・。アリセプトは進行を遅らせる効果があるとされている。でも、実際効果あった人、ない人の割合とかもなかったような?
80%の割合で効果有りってのならわかるけど。あれで「進行を遅らせることができる!」と言うのは、ちょっと強引じゃないかと。効果あった、なかった、という判断もまた難しいんじゃないかな。
夕食は、お好み焼き・野菜ジュース。

2006年12月14日

気がつけば除菌 (^^;

いつの間にやら世間では除菌製品が多くなった。台所製品や、トイレ用品、洗剤やらタオルやら、車のハンドルやシートまでも除菌製品だったりする。そのうち握手で差し出した手にシュッシュッと除菌スプレーされてしまうかも?まぁ、日本人はそんなに握手はしないだろうけど。

昨夜、HP作成中に紙オムツが残り少ないことに気がついた。24時間営業の大型ショッピングセンターに買い物に行った。台所用品や洗剤なんかも物色して、気がつけば「除菌」の表示がある物を選んでいた。そんな人も多いんじゃないだろうか?ノロウイルスなんてのも騒がれているので、余計気になったりする。

実は昔、家はお好み焼き屋だった。お好み焼き・焼きそば・各種定食等々。そして他店が600~800円なのに、家は200円台から、と激安だった。父は私が小学2年頃に定年退職。そして母と店を開いたのだった。私も時々手伝わされていた。仕方なく嫌々手伝った。近所に配達も行ったりした。私が27歳位の時に閉店したけど。

そんなこともあって、夕食にお好み焼きなんて発想は全くなかった。でも作ってみた。でも無反応だった。味も濃すぎた。何か反応あるかと思ったんだけどな?話しかけても反応なし・・。母もお店をやりたくてやっていたわけじゃなかったかもしれないか。家のお好み焼きは円形に作って半分に折りたたむ。そして切れ目を入れていた。

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本当はきれいな半円形なんだけど、下手糞ですなぁ・・。反応なしですか・・。
夕食は、お好み焼き・野菜ジュース。

2006年12月13日

とにかく医師と相談する (・_・)

大事なことを書き忘れた。以前の主治医で、母の診察の時こと。母の脳の画像を見て「萎縮がかなり進行しています。もう薬の治療はやめましょう。」と言った。私も同感だったし、ここまでは良かった。しかし、何の相談もなくまた薬を出し続けるようになった。私は別のことで色々あって、言うのも嫌になっていた。その薬はゴミ箱行き。良く受け取れば医師の意地みたいなことかもしれない。ただ、方針を変更するなら、やはり説明は必要だろう。

そのうち色々あって主治医変更に至った。アリセプトやグラマリールを中止したのも、「こういう症状があります。素人判断ですが、副作用じゃないでしょうか?」と医師に相談し、医師も同意してのこと。勝手に飲ませなかった時期もあるけど、素人判断も怖くて、やはり飲ませたり。母の抵抗を受け、飲ませたくても飲ませれない場合も多々あった。

とにかく医師に相談した方がいい。なぜなら、医師は処方した薬を飲んでいることを前提に診察しているからだ。何か症状が出た場合、薬を飲んでいるといないでは、その症状に対して判断も違ってくる。副作用も薬の量を調節したりで解決できるかもしれないし。血液検査をすれば、その人が薬を飲んでいるか否かはわかってしまう。血中の薬品成分の濃度?だかがわかる項目があった。それを見れば医師はわかる。私が勝手に薬を飲ませていなかった時期、実は医師にはバレていたであろう。何の相談もなく薬を出し始めた医師、何の相談もなく薬を飲ませなかった私。この面では、どっちもどっちってことだ。いや、先にやった私の方が悪いか。

アリセプトは効いたのか?というと、正直言ってわからない。一時「治っちゃうんじゃないか?」と思えるほど状態が良く感じた時期があった。ただ、デイケアに通うようになって母は規則正しい生活を取り戻した。そのせいかもしれないし。それまでは昼夜なく活動していたから。ただ、そんな良い時期も束の間で、母はどんどん進行した。くれぐれも素人判断で薬を中止するのはやめた方が良いと思う。認知症の治療に薬を使いたくない、と思うならそれも医師に相談してのことだろう。
夕食は、ジャコ入りお粥・味噌汁・サラダ・野菜ジュース。

2006年12月12日

試行錯誤と新しい車椅子 (・_・)

認知症が治った!という話を未だ私は聞いたことがない。そんなメールも残念ながらきたこともない。認知症に対して、医療・施設・家庭・・全てが試行錯誤というのが現状だろう。治療法・特効薬は確立されてないから、医師も試行錯誤の状態。以前の医師は、医療的には精一杯やってくれたと思う。信頼が崩壊したのは、医療とは別の部分にある、と言っていい。アリセプトやグラマリールをなぜ中止したのか等は過去に記載しているので、説明は割愛しよう。

色々な薬を試し、認知症の薬による治療の難しさ、限界を感じた。私はもう薬による認知症の治療はしたくない。恐らくあの母を食い止めることができる医師はいなかっただろう。この医師の前に2名の主治医がいた。当時私は、藁にもすがる思いで薬による治療を望んでいた。しかし、薬による治療はなかった。今になって思えば、それも正解だったと思う。正解なんてないような気もする。まぁ、何もかも今更の話・・。

今の私にとっては、今、直面している問題をひとつひとつ解決することが精一杯。認知症より怖いのは、他の内疾患だと思っている。この前のような肺炎とか脳梗塞だったり。薬に関しては人それぞれ違うので、良い悪いは一概には言えない。あくまで人それぞれだろう。ただ、副作用などで薬を中止した、というメールを過去、何人もの方から頂いているのはお知らせしておきたい。

今日、母の車椅子を別のに交換した。前のはだんだんお尻がズルズルとすべってきて、ひどい時は空を見ているような状態になってしまう。まぁ、すべり止めやバスタオルやクッションを膝が高くなるように入れる工夫もあったのだけど。ケアマネさんの進言もあって、念のため試してみることになった。

業者さんが来て、母を座らせてみた。後ろに体ごとリクライニングができる物。少しリクライニングをすると、ずれることはないようだ。頭の支えも付属している。以前の車椅子は900点、今度のは800点。単位が200点少なくもなる。「いい!めちゃくちゃいい!素晴らしい!」即決。(ちなみに単位がもっと低いのもあるけど、色々機能が付いてくると高くなってしまう。)

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で、前から気になっていたことを聞いてみた。「前の車椅子はどうなるの?こちらとしては、ちょっと使ってすぐ返却とか、凄く申し訳ないんだけど・・」「メーカーに返却しますから、こちらの実害は全くありませんよ。気にしないでください」「そっか、良かった」
夕食は、かつお刺身・お粥・味噌汁・サラダ・牛乳。

2006年12月11日

20分の攻防と憧れ?の調理器 (^^;

今朝、大寝坊して起きたのが7時20分。やばい!すぐに母のベッドのリクライニングを起こす。朝、いきなり起こすと不安定で転倒の危険がある。最低10分はリクライニングを起こしておく必要がある。車の暖気運転みたいなことだ。居間に母を誘導する準備をしていたら7時半。やばいって!デイサービスの迎えは7時50分頃に来てしまう。

昨日、便通がなかったから今朝出る可能性もある。服を着替え、トイレへ。そのまま朝食。あと少しで完食という時、迎えが来た。結局、便は出なかった。悪いことしたなぁ。おまけに今朝、湯たんぽが母の足裏に触れていた。見た目は大丈夫だったけど不安だなぁ。水泡が現れたら低温やけどだってことだ。そしたら病院へ行かねば。昼、異常ないかデイサービスに確認。帰ってきても異常なくて一安心。湯たんぽやめようかな。寝る前に布団を暖めるだけにしようかな?怖くなった。

母が認知症になり、嫌が応でも食事をどうにかしなきゃならなくなった。家事全般すべてやらざるを得なくなったわけだ。私のHPを見に来る人達の中にも同様の人がいることだろう。大変ですなぁ・・。「めんどくせー!」と思いながらもやるしかなく、もはや習慣として当たり前になった。今はご飯や味噌汁・サラダなんかは自分で作っている。問題はメインディッシュを何にするか?ってことなんだけど。スーパーの出来合い物を買ってくるのが多い。レトルトや缶詰も利用している。

「切る」に関しての道具は包丁しかない。野菜の皮をむくなどもも包丁。とにかく包丁1本で済ませてきた。お?この表現なんかかっこいいかも?スタタタタ・・・と細いキャベツの千切りもアッという間にできる・・技量もなく、何か空しい・・。薄くきめ細やかなキャベツの千切りなんかを作りたい。バリバリ食べるサラダじゃなくて、サクサク食べるサラダにしたい。嚥下のことを考えると母にも優しいし。

そこで前から気になっていた調理器がある。野菜スライサーなんだけど、テレビショッピングなんかで見たこともあるアレだ。先日、立ち寄ったショッピングセンターで目撃してしまった。「こんなの邪道だ、包丁1本で極めろ!」と意地を張る自分がいるけど、体が言うことを聞かない。気がついたらレジを通過しスキップしていた。私が買ったのは、0,5mmから3mm幅までスライスできる物。早速使ってみると、薄くフワフワなサラダができた。慣れていないせいか、むかつく所もあるんだけど。ついでにピーラーなんて物も買ってしまった。ニンジンの皮むきが凄く簡単にできた。すげー!包丁が「見捨てやがったな!」と叫んでいるような気がしないでもない・・。

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 包丁VSスライサー0,5mm厚

う~ん、私のも別に普通だろう~?ただ、均一に揃っているスライサー0,5mm厚は、食べると差は歴然で優しいんだよな。
夕食は、納豆・お粥・味噌汁・サラダ・牛乳。

2006年12月10日

嵐は過ぎ去った 勝利宣言 (^-^)v

私の過去の日記を見ればわかる通り、今思っても凄まじい日々だった。施設を変えてからの5月から、母はとても穏やかになった。叫び出したり興奮状態がまるでなくなった。笑顔も多くなった。これは嘘偽りない本当のこと。5月以前より認知症が進行しレベルダウンしたからではないと思う。認知症と言えども周囲の雰囲気など、凄く敏感に感じ取っている。それは認知症じゃなくとも同じこと。母にとって良い環境になったのが起因している、と思えてならない。とにかく認知症の物凄く大変な嵐の時期は過ぎ去った。

憎き認知症、大暴れして母の脳を1/3にまで萎縮させた。しかし、1/3の脳で頑張る母。全介助という犠牲を払いながらも、極めて穏やかな母になったのだ。今の穏やかな母を見ていると、私は母の勝ちだ思っている。「ついに狂ったか!」そう思われてしまう?
夕食は、まぐろ刺身・お粥・味噌汁・サラダ・牛乳。

2006年12月09日

介護テーブルと手を強く握る行為 (・_・)

母の着替えをする時は、居間のテーブルに手を着いてもらって事を済ませていた。でも、バランスを崩し転倒、頭を強打・・なんてことが発生していた。退院してからも、頭こそ打たなかったものの支えきれず、私と共に床に転がる・・なんてこともあったばかり。テーブルに手を着くというのでは、手の位置がずれたり、母の不安定さを支えきれない。手すりだと手に力も入るので、手をテーブルに着くより安定感が増す。前から必要性を感じ、手すりをどこかに付けようと思っていた。

でも、家の構造上、良い場所がなくそのままになっていた。どうしようか?と考えていてひらめいた。テーブルに手すりを付けてしまえ。必要ない時はテーブルを反対向きにすればいいし。安定感もあるし、テーブルごと引っくり返ることも考えにくいだろう。今までなんで思いつかなかったのか?早速ホームセンターで手すりを買ってきて、取り付け完了。今日、試したけどなかなかいいんじゃないだろうか。

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手摺りを付けた介護テーブル

それと、前から気になることがある。母が右手をギュ~ッと強く握り締めていること。常時ではないけど、結構頻繁にある。なぜ?私はテレビドラマは滅多に見ない。だけど、少し前までNHKで深夜放送されていた「チャングムの誓い」だけは見ていた。その中で王がふと気づくと右手こぶしを強く握り締めている・・というシーンがあった。母とそっくり。それに気づいたチャングム。確か内臓がどうのこうの、そしてストレスも起因しているのでございます・・みたいなことを言っていた。

なるほど、本当は言いたいことはあるけど、脳の障害から言葉にすることができない。そういう不憫な状態にあるから、ストレスがたまる。周囲が察してやるにも限度がある。そして母の生活は、自分の意思とは関係なく、周囲によって決められ動いてしまっている。だから尋常じゃないストレスがたまっても無理はないだろう。食事の最中とかもあるんだよな?なんだろう?「この馬鹿息子め!」と思っているのかもしれない・・。

以前、会社の後輩がいきなり「漢字が書けない」という事態に陥った。頭のいい奴がくだらん冗談を・・。実は本当にそうだった。検査によると、脳の毛細血管だかが切れるだか、短いとかいう特殊な障害だった。それが言語に関する部分で漢字の記憶に障害を及ぼしていると。これほどデリケートで大切な脳。

母の脳は1/3ほどに萎縮してしまっている。それは大変な障害が起きて当たり前。「トイレに行きたい」「オシッコが漏れちゃったよ」母は言葉にしたくても、言葉が浮かばない。なんとか伝えようとした結果「びちびちびち~~・・」などと口に出すしかないのかも?

でも、脳って凄いもので1/3になっても、かなり機能を保っていることに驚かされることも度々ある。介助歩行中に段差があり「階段だよ、足上げて」と言えば、母は足を上げてくれる。ちゃんと言ってることが通じている。言うことはかなり認識しているんじゃないかと思う。

確か脳ってのは、通常の人でも1/3しか使っていない?とも言われている。私達も日々膨大な量の脳細胞が死んでいるという。使わなくなった記憶は奥の引き出しに仕舞われるようなことらしいけど。それは実感することが度々ある。同級生の名前だって思い出せない人の方が多いくらいだし・・。

「1/3に萎縮してしまった・・」と嘆くばかりじゃなく「1/3も残っているじゃないか」と、ポジティブに考え直した方が良い、と最近思うようになった。萎縮して行くけども、最低限の機能は別の細胞が引き継いでくれているのかもしれない。
夕食は、マーボ春雨丼・味噌汁・サラダ・お茶。

2006年12月08日

皮膚は改善 (・_・)

入院中に痒い肌を掻きむしってひどかった。入院中は手袋(ミトン)をされていた。看護婦さんに退院してからも勧められていた。「皮膚の状態が良くなるまで手袋をさせよう」そう思っていた。

ところがケアマネさんから手袋はよくない、との助言を受けた。なんて言ってたか詳しくは覚えてない・・。足の裏・手・口だったかな?脳に感覚を伝えるとても重要な部分だっけ?それを覆うのは良くないそう。と、いうことで手袋使用は禁止した。とにかく母の肌を清潔に保ち、メンタームクリームを家でもデイサービスでも塗った。病院で処方されたクリームは、あえて使わなかった。その甲斐あってかなり改善してきた。病院にはエアマットもなかったから、その影響もあったのかもしれない。

相部屋だったんだけど、向かいのお婆さん元気かな?体的には退院OKなんだそうだ。でも家がそば屋で1階が店舗になっている。2階で生活する必要がある。入院中に脚力が落ちてしまった。そのため、階段を登れるようになるまでリハビリ入院とのこと。ただねぇ、あのお婆さんにとって、あの病院が地獄にも似た辛い場所だってことが私にはわかる。

家族が来た時には、凄く嬉しくて涙を流していた。でも家族は帰った後の状態を知らないんだよな。(私にも言えたことなんだけど。ただ察知していた)食事介助もまともにしてもらえない。たまりかねて私が介助したこともあった。私は色々嫌なことを見てしまった。元看護師さんのケアマネさんから見ても「え~?」って思うようなことが多々あったようだ。病院共通ってことじゃないらしい。救急の場合なんか病院を選べなかったりする。仕方ないか・・?
夕食は、納豆・お粥・味噌汁・牛乳。

2006年12月07日

とろみ (・_・)

母が退院して、その夕方から普通食に戻した。しかし、ケアマネージャーさんから「噎せることがあるので、安全のため施設ではとろみを付けさせて欲しい」と言われた。それを家でもやるか少し迷った。「面倒だし、まぁいいや」そんな気持ちがあった。噎せるってどういう状態なのか?私にしてみれば食事中に噎せるなんてことは滅多にない。まるでピンとこない。しかし、噎せることへの危機感を認識し、家でもやることにした。

以前、歯科医との会話で「お母様は口腔機能も衰えているんですよ。」と言われたことがある。そう、私の感覚で考えてはいけない。今回の入院で誤嚥の怖さも知ったし、今まで「まぁいいや」でどれほど苦い経験を繰り返してきたことか。施設でやって家でやらないでは意味がない。ケアマネージャーさんも、本音は「家でもやりなさい!やるべきだ!」と思っているんじゃないかな。でも、なかなか言えないジレンマを感じ取った。

だから、退院した翌日からはとろみを付けるようになった。ご飯も私とは別にお粥を作る。やっと土鍋でお粥をうまく作れるようになった。湯気が出て吹きこぼれるのを恐れて作ると、うまくできない。湯気を見ながら弱火にするタイミングを掴めば大丈夫だ。吹きこぼれそうで吹きこぼれない、絶妙のタイミング。
夕食は、親子丼・味噌汁・野菜ジュース。

2006年12月06日

認知症介護は難しい (・_・)

この介護日記も長年に渡っている。母の状態や色々起こったトラブルなど、書いても読んだ人に伝わるのは、ごくごく一部の情報で、他は想像するしかない。そこに写真があるとイメージが膨らむ。それでもほんの限られた情報でしかない。もっとわかりやすいのが動画となる。過去に携帯電話で撮影した動画を取り出すことができたので、アップすることにした。

2004年2月12日の日記参照

約3年前の母だけど、認知症介護の難しさ、深刻さがわかるのではないかと。このようなことが毎日々連日連夜繰り返される。仮に母が、もっと力のある男性だったら?ぞっとしてしまう。イライラしている時、時間がない場合など、こういう状況に遭遇したらどうだろうか?

目を離せば徘徊したり家の中をメチャクチャにしてしまう。大小便もトイレ以外でされてしまう。そんな状況で介護者がいつも平常心を保っていられるのだろうか?私は暴力や虐待を肯定するつもりは一切ないし、私が今までしてきたことも肯定するつもりもない。でも、起こっても不思議じゃない、いや、起こっても仕方ないような気がしている。仕方ないって意識だとまずいのだけど。

私も一歩間違えば刑務所行きだったかもしれない。認知症介護での悲しい事件も、ほんの少しの情報しか知ることはない。だから、そんな悲しいニュースを見るたび色々複雑に思う。虐待ってのは、手を出すことばかりじゃない。暴言もそう。

私自身、色々悩んできたけど、物理的な解決策は介護者を変えることしかない。家族の誰かにバトンタッチするか、施設入所だ。或いはショートステイでリフレッシュして気分新たに介護に望む。それができないなら、日々反省、日々精進ってことだろう。反省もなくなったらおしまいだと思う。

この動画のようなことになった場合、私はどうしていたか?いちばん手っ取り早いのが、強引に羽交い絞めにしてベッドへ寝かすことだった。10分もすると、全然違う場合がある。私は「リセット作戦」と呼んでいたけど。ほんとに10分でも寝かすだけで穏やかな母になることもあったのだ。私に余裕がない時、そのまま喧嘩に突入することもあったのだけど・・。
夕食は、マーボ豆腐・お粥・味噌汁・サラダ・野菜ジュース。

2006年12月05日

インフルエンザ予防接種 (・_・)

予約しておいたインフルエンザの予防接種に行ってきた。まだ私の車へ移乗は危険なので、介護タクシーを手配。今度の病院はバリヤフリーじゃないので入るに少し苦労する。検温すると、二人とも37,5度「なんだこれ!そんな馬鹿な!」37,5度以上は接種できない。待合室が暑いことに気づいた。家を出る前には36,4度だった。家の室内は、23度に設定している。この待合室は26度に設定されていた。

看護婦さんに言って、上着を脱いでもう一度計ることに。私は37,2度でセーフ、母は37,5度・・。再度チャレンジすると、37,2度に下がった。これでようやく二人とも受けれることに?先生に事情を話すと「問題ないでしょう」と、やっと受けることができた。私はまだ調子悪いので再度処方してもらう。

帰りもまた介護タクシー、面倒だなぁ・・。家に帰って母の体温を計ると平熱で一安心。昨日痛めた母の右手は、昨夜から湿布。どうやら大丈夫のようだ。念のため今夜も湿布した。しかし、1分もしないうちにムシャムシャ食べてやがる・・。ビニールテープで固定したけど、少し不安。

湯たんぽなんだけど、布団から出し忘れていた。20時半に出してみると暖かい。おそらく40度前後あっただろう。24時間も恐るべし湯たんぽ。
夕食は、いわし煮つけ・お粥・味噌汁・キムチ・サラダ・みかん・野菜ジュース。

2006年12月04日

制御不能な自分 (-_-)

いつものようにテーブルに手をついて立ってもらい、着替え。しかし、足がぎこちなく位置が悪かったのかもしれない。バランスを崩し出した。もちろん、こんなことは想定しているので支える。しかし、母は左足の支点をなくしていた。わざとやってるんじゃないか?と思えるほどに全力で倒れる。妙な表現だけど、私にはそう感じる。

転倒しないよう、私も必死で支えるが無理だった。今になって不思議なほどだが、支えられなかった。支えきれず、ゆっくりゆっくり床に転がった。最低限、ダメージを与えない転倒にするのが精一杯。母を引き起こす。腰が痛い・・。同様の転倒を2回も繰り返してしまった。

この状況下に自分を制御できなくなった。退院後間もないというのに、母の頭を叩いてしまった。認知症介護者なら、デイサービスの朝の送り出しの大変さがわかると思う。色々抵抗されたり、言うことを聞いてくれず事がうまく運ばない。お迎えの時間は迫る。暴力はいけないのは十分承知。だがやってしまう。

帰ってきてわかったけど、母は右手を痛めていることがわかった。母はレベルダウンしている。前のやり方でやろうとするのが危険なのだろう。何か考えよう。それから、30分余裕を持って行動するべきだ。
夕食は、カニクリームコロッケ・お粥・味噌汁・サラダ・みかん・野菜ジュース。

2006年12月03日

湯たんぽどうでしょう? (^^;

密かに湯たんぽが見直されているらしい。私の幼少期、使っていたかもしれないが、記憶にない。家にあったのだけは覚えている。記憶にあるのは、電気あんかと言われる物。21世紀の湯たんぽに興味本位もあって買ってきた。排水しやすいように、縦に立てることができ取っ手も付いている。素材は厚手のプラスチック。

寝る前に湯たんぽを布団に投入。布団は温まりいい感じ。布団に体温を奪われ難く良いかも?寝る時は、足先に触れないように入れてみた。体に触れた状態だと低温やけどの危険がある。それでも足元は暖かく快適だった。驚いたのが、朝になってもぬくぬくだったこと。夜21時に湯たんぽを設置、朝8時まで十分な暖かさ。恐るべし湯たんぽ。800円ほどなのでいかが?

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今朝、トイレに誘導する手前で大便失禁・・。慎重にトイレ誘導、汚物を取り除く。その後、退院後初めて家でのシャワー浴。軽い段差を心配してたけど、足を上げてくれた。体をしっかり洗う。シャワーしながら散髪。入浴後に爪切り。この流れで朝食がなくなってしまった。

トイレ誘導前に、トイレや浴室側も暖房で暖めておく必要があるので冬は厄介だ。例えば浴室(暖かい場所)と脱衣所(寒い場所)の温度差。この温度差が血圧の変動をもたらす。体に負担になって危険。脳内出血や心筋梗塞などを引き起こす原因になるので注意が必要。

それから誤嚥の件。母は時々食事中に噎せることがある。噎せるってことは、気管に入った食物を排除すること。誤嚥の可能性がある、ということだろう。食べる時の姿勢が悪いのも正さないといけない。
夕食は、さばカレー缶詰・お粥・みかん・サラダ・牛乳。

2006年12月02日

強い薬 (´_`)

昨夜処方してもらった風邪薬。飲んだらすぐ眠くなってきて21時半には寝てしまった。「あ~、よく寝た!」と思って時計を見ると11:30となっている。一瞬、朝か夜かわからなかった。6時間以上寝た感覚があった。今朝の寝起きはふらつく始末。私の風邪は軽い症状だし、これは薬が強いせいだと思う。今夜は半分にして飲もう。

薬には相性もあるし、量の影響もある。仮にこれを母に飲ませていたら怖いことになる。自分では「薬が強い」と言えないから。今まで飲ませてきた薬もどうだったのか?今更疑問・・。
夕食は、はまち刺身・お粥・味噌汁・みかん・牛乳。

2006年12月01日

遅れたインフルエンザ予防接種 (-_-)

一時は治ったかと思った私の風邪がまた悪化しそうな感じ。これが母に移ったら大変だ。ついに病院へ行ってきた。しかし、なんてしつこい風邪なんだ?兄も同じように風邪が長引いているという。4種類もの薬が処方された。

そう言えばインフルエンザの予防接種やってなかった。やっていれば、母の肺炎はなかったかもしれない。看護婦さんが「もうないですよ?キャンセル待ちになります。」そっか遅すぎた。ない、と言われるとだんだん不安になってくる。母の分も予約して帰った。

夕方に「お二人とも確保できたので、来院してください」と電話があった。ラッキー!やはりやっておいた方が懸命だろう。今までずっとやってきたし。来週接種してこよう。しかし、母に移らなければ良いのだけど・・。

母はデイサービス再開。誤嚥を警戒し、念のため食事にはトロミを付けたいそうだ。仕方ない、家でもそうしよう。今回の入院では誤嚥かどうかは不明。誤嚥の検査は、造影剤を飲んでレントゲンで肺に入っていないか調べるらしい。白黒はっきりしていないから、施設側は安全策をとる。いや、高齢者は「誤嚥はある」と踏んで対処した方が良いかもしれない。それだけ誤嚥は怖いことかも。母がもっと状態良くなったら誤嚥の検査やってみようかな?
夕食は、納豆雑炊・味噌汁・みかん・野菜ジュース。

プロフィール
はじめまして!Tomy(S39年生まれ・男)です。認知症の母(昭和2年生まれ)を在宅介護(2人家族)しています。当初はレビー小体型認知症で、進行した結果、レビー小体型認知症・アルツハイマー型認知症・脳血管性認知症の混合型に至ったようです。家族が認知症になったら、どうしたら良いのでしょうか?今後、どのようなことが起こり得るのでしょうか?認知症介護の問題に直面している方を応援しています。

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