2003年05月
2003年05月31日
耐えろ (^^;
季節外れの台風のせいで母は家の中。午前中から昼過ぎまでは状態が良かった。その後、昼寝してしまった間に母は台所に巨大ウンコをし、布団を移動。「おお!ウンコがでたね、良かったね!」などと喜べない私は「ばっかやろー!めんどくせーなー!ちきしょー!」ブリブリ怒りながら後始末。
母を張り倒したい衝動にかられたが、我慢。消えないアンモニア臭の中で夕食・・不愉快・・。デザートを出すと、最初こそ喜んでいたが、不穏になってこねくり回しだした。「もう、いいよ、あっち行ってくれ!見てられない!」母を台所から追い出した。
ケアマネさんのことで苦情を言って1週間。お勧めのショート先を紹介してくれるはずが、今だ連絡なし。今度の人も期待外れ?
夕食は、アスパラのベーコン巻き・ご飯・味噌汁。
2003年05月30日
2003年05月29日
気合いと肩揉み作戦 (^-^)
どうにか暴力をなくさないと!これは自分の精神的な問題だろうと思う。決定的な回避策は見つからず。私が今日実行したのは「気合い」だった。家に入る前に「メチャクチャであっても絶対暴力はしないぞ!」と言い聞かせた。トイレにオムツが詰まっていたが、そんなにひどく荒れていなかった。
夕食も危うい場面があったが、どうにか声掛けで乗り切ることができた。その後、スキンシップに肩揉み。あまりに「気持ちいい」と喜ぶので、何回もしてあげた。どうにか暴力を振るうこともなく、母に平和な日を提供することができた。しかし、暴力の回避策が「気合い」とは・・どうにも頼りないものだ。
現在の施設のケアマネさんのやり方に疑問を感じている。来月のサービス計画を作って送ってくる。特に問題がなければ、印鑑を押して送り返す。当初からこういうやり方なのだ。ケアマネさんにとっては効率が良いやり方かもしれない。でも、私が受ける印象は、ずるい方法だと思う。会話は何もない。コミュニケーションの機会をケアマネさん自ら失っている。「最近、家ではどんな感じでしょうか?」こんな会話からお互いの情報を交換できるし、信頼関係も生まれるものだと私は思う。
今後のことを考えて主治医も施設も変更しようかと思っている。認知症専門の病棟・入所施設・デイケアなどグループ化してやっている所がある。今後はデイケアだけでは済まなくなってくるだろう。色々な状況になっても対処可能な所に今、変更しておいた方が良いだろう。
夕食は、弁当(母)・納豆(私)・味噌汁。
2003年05月28日
頬紅 (^^;
今朝の母の顔を見て、一瞬・・いや、しばらく固まった。両方の頬が真っ赤なのだ!なんでだろう~?なんでだろう~♪よく見ると。頬・鼻・おでこが赤い。吉本新喜劇並のメイク・・。実は赤いインクスタンプを手で触り、顔に塗りたくったのだった。手も真っ赤っか!本来なら爆笑ポイントだが、片付けに追われてむしろイライラ。
夕食の時は1回リセットして食べてもらっていた。しかし、ご飯をテーブルの上に並べ出した・・。持っていたタオルでめった打ちにしてしまう。鬼だ鬼だ・・・・・・・・。自分でやっといて馬鹿な話だが、これじゃ母がかわいそうだ。このままじゃいかん。何か対策を・・。
夕食は、いわし丼(母)・牛丼(私)・味噌汁。
2003年05月26日
無地のテーブルクロスを購入されたし (^^;
今朝、久しぶりに挨拶作戦が成功した。トントントン・・「こんにちはー!」最初は無反応だった母。数回繰り返していると「はーい!今行きますでね」目覚めていきなりのお客さんに、機敏にベッドから起き上がってきた。してやったり。
夕食中、オムライスを食べている母。すると、いきなりトテーブルクロスをスプーンでゴリッゴリッゴリッ!「それは模様だっての!」少ししてまたやる・・。どうしてなんだ?テーブルクロスは、本来なら別にいらないけど、実は食卓が見事なマーブル模様だったりする。ほんの少し前に買ったテーブルクロスは、もはやビリビリ。ガムテープで張り合わせてある。ちきしょー!7代目テーブルクロスは、絶対に無地にしなければならない。
夕食は、オムライス・味噌汁。
2003年05月25日
あ~、もう! (-_-#)
今朝の母はいつになく早起きして家の中をいじり回していた。状態は良く、久しぶりに母と買い物。夜用の尿パッドを購入。母はそれを何か認識ぜずに持ってくれたが、その様はなんだか滑稽でもあった。そして久しぶりの墓参り。その後、家は開放してあるのに外に出ず・・。
私が昼寝している間に、また家の中を物色されていた。しかし、整理した甲斐あって損害は軽微。ふと冷蔵庫の卵がないことに気づき、捜索すると冷凍庫で発見・・。解凍して元に戻るのだろうか・・・?昔の冷蔵庫は鍵が付いていたが、冷蔵庫に鍵を付ける日も近いかも?そこまでやりたくない・・。
今日はどうにか衝突もなく乗り切れるかと思いきや、寝る直前の歯磨きでのこと。口の中の物を吐き出さず固まっていた。「ペッってしろよ」「ここに出せよ」「ペッってしろよ!ペッって!」「口の中の物を吐き出せ!」「出せって言ってんだ、この野郎!」頭を叩いてようやく吐き出した。あ~、もう!
夕食は、焼肉丼・味噌汁。
2003年05月24日
不要物掃討作戦 (^^;
いらない物は処分しろ!と、せっせと片付けをしている。家の中は確実に整理され、以前とは見違えた。それでもまだ途中だけど。母の行動範囲は、ほぼ整理が終わっている。これまでに処分した不用品は物凄い量。最初からやれば良かった!と、少し思ったがそれは違う。初期のうちからやってしまうと、逆効果だろう。段階的に整理して行った方が良いと思う。私の部屋には、数十個のゴミ袋が山積みになっている。我が家のせいで、私の班のゴミの量が劇的に増えている・・ごめんなさい。
今夜はテレビで「アポロ13号」をやった。以前の母なら興味を示す分野なので一緒に観賞することに。しか~し、母は落ち着かない・・。そして「映画は観たくない」と言い切られてしまい、寝てもらうことに。
先日の日記で、ケアマネさんに怒りを露にした私。でも、少しフォローしておこう。現在お世話になっている病院は、規模の小さい開業医。デイケアを開設し、母がそれを利用している。定員は40人だが、以前聞いた話では、確か利用者は100人前後。ケアマネさんは現在2人。そして、6月から通所介護施設を新たに開設する。そして10月にはグループホームも開設する予定。こういう状況において、内部がゴタゴタしているであろうことが想像できる。ケアマネさん一人がきめ細やかに対応できるキャパシティを超えていたのかもしれない。
そして、私とのコミュニケーション不足も否めない。私は今度交代したケアマネさんで4人目になる。最初は社協の人で、社協の事業縮小と効率のことを考えて施設のケアマネさんに移行した。2番目の方は退社、3番目の人が例の方。いちばん最初にお世話になったケアマネさんが素晴らしい方で、比べてしまうのである。介護者にとって重要な外部要素が、主治医・ケアマネ・施設など複数あるわけだから、どれもこれも理想を追い求めるのは無理な話かもしれない。
夕食は、いわし丼(母)・カレーライス(私)・味噌汁。
2003年05月23日
役立たずケアマネージャー ノ`´)ノ 彡┻━┻
数ヶ月前からケアマネさんに「万が一の時のためにショートの受け入れ先を探してください。」と依頼していた。が、しかし全く音沙汰なく・・。「徘徊対策をしていない施設ばっかりなんだな!」と、半ば諦めていた。
先週ケアマネさんと会った時に「すみません、あてがあるので来週の土曜日に私と一緒に見学に行きましょう。」と言われていた。当然、私は土曜日を空けて連絡を待っていた。ところが、まるで連絡がないので私から連絡をしてみた。「明日はどうすればいいですか?」「土曜日はですね、案内できる担当の者がいないそうで、日曜日か平日にご自身で見学に行ってください。」
だったらだったで、なんで連絡してくれないんだ?そして「いくつか施設を紹介しましょうか?」「は?あるんだったら教えてください。」このケアマネから3ヶ所施設を教えてもらったが、このケアマネに不信感を抱き始めた。
さて、教えてもらった施設に徘徊のある母を受け入れ可能か電話をしてみた。すると、そのうち2ヶ所が受け入れOKだった。そして、どの施設も「個人でも問い合わせは可能ですが、結局ケアプランを作成するのだからケアマネさんを通してください。」と言われてしまう。ここでケアマネに怒りがこみ上げてきた。どういうことだ、ちきしょー!影で動いてくれていると思い込んでいたのに。早速連絡を入れると「○○さんは帰りましたよ。どうかしましたか?」とのことで施設のセンター長に代わった。
「明日見学の予定だったのに連絡もくれない。数ヶ月前からショート先を探してくれ、と頼んでいるにも関わらず音沙汰なし。紹介された施設に私が連絡すると受け入れOKですよ。しかもケアマネさんを通してくれって言われるし。ものの数分で済むことじゃないですか。数ヶ月待たせたのは何だったんですか?このタイムラグは私にとって大きいんです。今からショートの予約入れたって2ヶ月先ですよ。在宅でなんとかやってますが、もう参ってるんです。こんないい加減なケアマネさんに任せられないですよ。担当を替えて欲しいです。」
「そうでしたか、申し訳ありませんでした。実は○○は来月に辞めることになっています。今後は私が担当します。報告してくれてありがとうございました。」本人にガツンと言えなくて残念だ。ケアマネは、介護者にとって水先案内人的な役目に等しい。こんないい加減なケアマネが、また別の所でケアマネとして働くと思うとゾッとする。ケアマネ失格!こんなのがケアマネやっちゃいかん。
その後も色々話し、センター長さんから見てお勧めのショート先を紹介してもらうことになった。センター長曰く「残念ながら現在の体制では、人手不足もあって、ショートは患者さんのための物ではありません。介護者が疲れた時や、用事があった場合のやむを得ない時に活用する物だと考えてください。患者さんにとっては、環境の変化で負担になります。」とのこと。やっぱりそうなんだなぁ・・。どっちにしろショートは試しに1泊2日で利用することにしよう。
今日の母も不穏極まりない。夕方は久しぶりに回転寿司へ。箸だと食べ方が汚いので、手づかみで食べてもらった。寿司は手で食べても恥ずかしいもんじゃない。むしろ通に見える!(^^; 途中から指図しないと食べないようになってきた。皿の真ん中の寿司を認識してくれない。
「おい、寿司を食べなよ。」「それは模様だっての。」「皿の真ん中に寿司があるだろ。それを食べなよ。」「それだよ、それ。」寿司をつまんでお茶の中に・・。「違うって!食べるんだよ!」ちょっと目を離すとティーバッグをモグモグ。「おい、それは食べちゃいかん!」周囲の視線を感じるけど、どうでもいい。ようやく家に戻ると不穏の絶好調・・。じっとしていない。「頼むから大人しくテレビを見てくれ!」
夕食は、回転寿司。
2003年05月22日
威厳のなくなった母 (-_-)
以前の日記を読み返す・・「あ~、まだあの頃は良かったなぁ・・自分も優しかった・・なぜこんなになっちまったんだ・・」そして、あることに気が付いた。母の認知症が進行し失禁が当たり前になって、いつの間にか「母の威厳」というものが崩壊してしまったのだ。威厳のなくなった母を母として認めないわけじゃない。なんで暴力を振るうのか?その時は暴力でねじ伏せて大人しくしてもらう他ないからかも?早い話が我慢の限界で私は平常心を保つことができないのだ。
夕食は、いわし丼(母)・カレーライス(私)・味噌汁・ヨーグルトみかん。
2003年05月21日
耐えられないのは何? ノ`´)ノ 彡┻━┻
家の中はメチャクチャに!この前、玄関間の古い敷物を新しいマットに張替えていた。それを剥がしてトイレに押し込んであった。両面テープで頑丈に固定してあったのに。トイレのマットも全て取ってある。仏間にオシッコ・・。
「ちきしょー!どこまで俺を困らせるんだ!」枕で母を何回も殴打。もう、鬼だ・・抑えられない。去年までは母に暴力を振るうことは、ほとんどなかった。どうしたのか?過去の日記をざっと読み返してみて思った。毎日のように、ひどい有り様だ。無茶苦茶じゃないか!無理もない・・。誰にでも忍耐には限界もある。母が不穏なことに参っているんじゃない。家の中がメチャクチャになるのに参っているのだ。耐えられないのだ。
少しでも改善しようと、困っていたピーコのトイレを廊下へ移動。母が入れないようにしてある廊下の戸を少し開けて器具で固定した。ピーコに一度教えると、イソイソと隙間から廊下のトイレに行って用を足していた。あ~、ピーコは偉いよ!母は22時にはベッドで寝ていた。横にはピーコ。逆さまに寝ていたけど、熟睡していて直すことができなかった。
夕食は、弁当(母)・ハヤシライス(私)・味噌汁。
2003年05月20日
座布団で殴打! ノ`´)ノ 彡┻━┻
悲惨な光景に我慢ができない・・「なんでこんなことするんだ!謝れ!ちきしょー!」座布団で何回も殴打してしまった。こんな日記を書くことに抵抗もあったが、もうどうでもいい。私にはどうにもならん。何もかもが馬鹿馬鹿しい!重い家具をも平気で動かす母だ、放っておけば徘徊だって当たり前。何するかわかったもんじゃない。やはり、こんな母を預かってくれるショートなどあるわきゃない。
夕食は、納豆・冷奴・ご飯・味噌汁。
2003年05月17日
納得いかない何か・・ (-_-)
朝一で母を美容院へ連れて行こうと思ったのに、母は起きてくれない。昼過ぎにようやく連れて行くことができた。
夕方から兄に任せて釣りに出かけた。夕食は冷蔵庫の中に準備しておいて。兄はレンジでチンするだけ。釣りをしている最中、兄から電話。「家の電気が点かない!ブレーカーが落ちたのか?あいつ、コンロを点けっぱなしだし、ご飯もメチャクチャにしやがった!」随分お怒りの様子。
小さな現実逃避の釣りの最中、現実に引き戻された。兄貴、言ってしまうが、そんなの序の口だ。俺なんか毎日なんだぜ!?下の世話だって風呂だって何から何までやってんだぜ!?母が認知症になっても、兄貴の生活はそれほど変化してないだろ?それはどうしてだ?
深夜12時過ぎに私は家に帰った。私が用意した夕食は、そのまま残っていた。ご飯の上にピーコ用のシラス干しがかかっていたのが問題?な~んの問題もなく食べられるのに!むしろ、その方が良いくらいじゃないか。炊飯器のご飯は、釜が抜き取られご飯が直接入っている有様だったけど。しかも、母は起きていて寝室を荒らしていた。「もう遅いから寝なよ。明日は日曜日だからね」母は素直に従って寝てくれた。夕食も食べてないだろうに、かわいそうだが寝てもらった。
母の奇行に精神的なショックを受ける。時には手を上げてしまったりしたけど、「でも、それは病気だから・・」と、許し難いものを感じながらも割り切るしかない。そして今日の兄貴にはがっかりした。認知症の介護というのは、必ず家族の誰か一人にのしかかるようだ。たくさんの介護仲間を見ても、やっぱり一人に大きな負担がかかっているように感じるのは気のせい?やっぱりそうなっちゃうのか?「家族皆が助け合って・・」それは理想でしかないのか?
介護が始まると、介護者は色々なことを犠牲にすることになる。そして介護の行く末は、遅かれ早かれ悲しいことに同じことが待っている。「後悔しない介護はない」そんな言葉がある。介護が終わってからも爽やかな達成感は得られず、引きずることになる・・。介護者はお金で買えない犠牲を強いられ、周囲は無神経。介護者は社会的にも、なんの援助もないのだ。
色々なことに何か釈然としない、納得行かない・・。こんなことを考えるのはナンセンスか?逃げたくても逃げれない介護。私は避けられない出来事を運命だと解釈するようにしている。やはり、自分に与えられた運命なのか・・。
夕食は、なし(母)おにぎり(私)。
2003年05月15日
亜鉛不足かも? (・_・)
洗面器の中に・・卵を2個落とし・・牛乳をいっぱい注いで・・最後にゴミを入れる・・。
やめてくれよ!新しく設置したバスタオル掛けも引っこ抜いてあるし~!ってな具合で、夕方から母は不穏極まりない。寝る時にようやく状態が良くなった。
栄養士さんの話だと、先月の検査ではカルシウムが不足しているとのこと。朝も夜も牛乳を飲んでもらうことにした。そして、コレステロールが高値。食事の内容からして、どうもこの高値はおかしい。栄養士さんも言っていたが、薬の影響かもしれない。
それから、亜鉛が不足すると味覚の機能が落ちるそうだ。母も認知症になって「味覚がおかしいんじゃないか?」と思うことも度々。心当たりの人も多いはず。亜鉛が欠乏すると、亜鉛欠乏性味覚障害になってしまうようだ。
夕食は、餃子・ご飯・味噌汁・サラダ。
2003年05月14日
ヘルパーさんは大変だ (^^;
以前、介護度が低く設定されてしまった時、苦肉の策として1日2回ヘルパーさんを頼んだことがある。でも、母はヘルパーさんを受け入れることがなかった。家に入れてもらえないことも度々・・。ヘルパーさんが毎回のように人が違ったのも問題だったと思う。そして介護度が上がったことにより、ヘルパーさんを中止した。
昨夜、チャットでヘルパーさんのお話を聞くことができた。食事を作る時「ドジョウを煮て柳川を作ってくれ」とか「スッポンを捌いて鍋を作ってくれ」などと言う人がいたそうだ。「え~!スッポン?」と私。そこへ「体力を付けようと、その人も必死なのかも。それを考えると切ないね・・」との発言。あ~、確かにそうだ、切なくもある・・。私もヘルパーの仕事に興味あるけど、料理がネック。「カツ丼を作ってくれ」などと言われた日にゃ、「え?いわしの缶詰丼じゃだめですか?」なんてことになるに違いない・・。
今朝、お茶を入れて飲もうとした。そこで嫌な予感がしたのでポットの中を見てみた。すると・・中には得体の知れない白い帯のような物がいくつも浮遊しているではないか。「うわっ!なんだこりゃ!」それは壁に貼り付けてあったクロスだった。飲まないで良かった!
そして、今夜は母を風呂に入れている間に居間の整理。茶箪笥の中身を整理して撤去。その他、引き出しの家具や玄関のショーケースも撤去。居間にはテレビとテーブルと椅子1個だけになってしまった。これで母の行動範囲のターゲットは随分と減ったはずだ。私も少しは楽になれるかな?
しかし、これは自分のことばかり考えているわけで罪悪感もある。母にしてみれば、どんどん家具類がなくなり戸が開かなくて行けない部屋がいくつもある。母の寝室はほとんど手を付けていないが、近いうちに整理しようかと思っている。
結局のところ、片付けから私は解放されることはないだろう。台所は特に物がたくさんあるので、母は必ず何かをすることはわかっている。果たしてこれでいいのだろうか?本来の目的は、片付けのストレスを軽減して、母に優しく接するためなのだけど・・。
夕食は、さばのみりん漬け焼き・ご飯・味噌汁・サラダ。
2003年05月12日
家の中の整理を再開しよう (・_・)
また家の中をあちこちいじり回されイライラ・・。毎日毎日やらねばならない後片付け。これを少なくするために色々と家の中を整理してきた。だけど、途中で中断して庭掃除に切り替えた。これは「蚊を避けるため」だったりする。蚊が発生する前に庭掃除をしたい。蚊よけスプレーでもかければ、かなり被害を抑えれるのだけど。
結局、計算通り庭掃除が終わった今、蚊が出始めた。うかつに窓も開けられないや。さて、これからはまた家の中の整理を始めよう。とにかく今、いちばんイライラするのが家の中を荒らされることなのだ。この負担を軽減しなきゃ。でも、気が進まないなぁ。面倒くさい・・。
母は便通が1週間は確認できず、デイで浣腸をして出してもらった。
夕食は、しゅうまい・ご飯・味噌汁・サラダ。
2003年05月11日
母の日 (^-^)
とは言うものの、母は不穏で美容院へ連れて行こうと思ったけど中止。特に買ってやる物も思いつかず、いちばん手っ取り早い、夕食を豪華にすることで済ませた。母のはスーパーの魚屋の寿司。いつも見るたびヨダレもんの質の良い寿司。これを母に、私は節約して手巻き寿司。そして、ケーキを買った。
スーパーから戻ると母は不穏。昨日、買ってきたばかりの卵を開封され、茶碗に卵を割って入れられていた。しかも、何か色々入ってるし・・。無事だった卵は2個。そして2個が行方不明。食べたのか?そして、ゴミ箱も荒らされメチャクチャに。
「ふざけやがって!」母の顔をバシッ!「やっちまった。母の日なのに・・」強引にベッドへ誘導し、リセットを試みる。30分後、夕食の支度を済ませ母を起こす。状態良くリセット成功。豪華な夕食に母の目は生き生き。寿司は手で食べてもらうと、うまく食べることができた。
今後、回転寿司に行った時も手で食べさせよう。寿司ならおかしくない。「今日は母の日だからね。ご苦労さん」とケーキを出す。「おいしい!」と言って2個たいらげた。就寝まで状態良く過ごすことができた。
夕食は、寿司(母)・手巻き寿司(私)・味噌汁・サラダ・ケーキ。
2003年05月10日
兄に任せたものの・・ (-_-)
夕食前に釣りに行くことを企んだ。夕食のちらし寿司を買ってきて、兄に任せて私は釣りに。深夜帰ってきたら、母はほとんど手を付けず残っていた。
「なんで?どういうこと?」インスタントだけど、味噌汁も用意しておいたのに兄は作ってやっていなかった。兄は無造作に夕食を出しただけのようだ。がっかり・・。兄が母の夕食を用意しようとすると、母は不穏で頭に来て無造作に出したってことも考えられるけど。結局、自分じゃなきゃだめか。
しかし、主婦って凄いな。私は食事を母と自分の分しか用意しないから、そんなに苦にならない。でも、一般的な主婦って家族の食事を4人分位は用意することになるのだろう。炊事・洗濯・子育て・・これに介護や仕事が加わってきたら凄いことになりそうだ。実際にそんな介護仲間がたくさんいる。本当にご苦労さま。
私は介護に突入しないで結婚していたら、炊事や洗濯を嫁さんに任せていた可能性が高い。いや、きっとそうだろう。しかし、今は違う。一方的に押し付けることはできないねぇ。
夕食は、ちらし寿司(母)・おにぎり(私)・味噌汁。
2003年05月06日
鏡よ鏡・・ (^^;
夕食前、母は凄く不穏な状態。横の鏡に写った自分をジ~ッと凝視している。「このやろう~・・」母がつぶやく。
状況がわかった私は「どうした?」「悪い男がいるだ」男かよ!「どんな服着てる?」「白・・」母は青いセーターなんだけどなぁ。私は黒いシャツだし。ちょっと面白い事態に笑えてきた。母はチラチラと鏡を見ながら気になって仕方がないようだ。母にしてみれば、相手に睨まれているのだから。絶対に目をそらさない鏡・・。このままじゃ夕食に影響が出そうなので、鏡を隠した。「お父さんはどこにいる?」「・・・」ある意味、幸せなのかもしれない。
それにしても、今日も色々とやってくれたもんだ。ピーコのトイレの砂を撒き散らし、浴室の前は水浸し。ただの水だから助かったけど。色々整理したいのだけど、対応しきれない。就寝前には台所で帽子を被っていた。思わず笑ったけど状態は凄く良く、ピーコと就寝。
夕食は、きしめん・味噌汁・サラダ。
2003年05月05日
消えた納豆 (^^;
泥棒が現行犯で捕まって「僕じゃない!」なんて言うようなものだ・・?仏壇はだんだん壊され、仏具は不明。母の腕時計も不明・・。濡れたオムツをコップに詰め込み・・。そりゃ頭にくるわいな!でも、今日は珍しく我慢した。庭仕事のダメージで体が痛い・・。
夕食は、鶏肉の甘辛揚げ・ご飯・味噌汁・サラダ。
2003年05月04日
母と庭掃除 (^-^)
昼前、母を起こしに行くと寝室はオムツが散乱。本人は寝ているので、小さな声でブツブツ言いながら掃除。昼から母を駆り出して庭掃除をした。幸い母の状態は良く、時々暴走(枝を地面に刺したり)はするものの、話しかけると反応良かった。時々休憩をしながらも厄介な庭掃除は、夕方にはほぼ済んだ。
今度は中断していた家の中の整理をしなければ。私はヘトヘトなのに、母に疲れの様子は全くない。私より運動量は少ないものの、なんか妙・・。夕食を用意すると「あたしは食べたよ」なんて言い出したが、結局のところ完食。夜、冷蔵庫の中身を出されていたり、炊飯器の蓋を開放されたりしたけど衝突回避。「もう限界です!」と言ったところで介護からは逃げれない。結局、騙し騙しでも踏ん張らなければならない。
実は5月に入って禁煙をしていた。ひょっとして禁煙のストレスが余計に溜まったのかもしれない。「きっとそうだ!」と自分を納得させて禁煙は三日坊主に終わった・・。コーラと柿の種とアーモンドチョコも続いている。う~ん、これがささやかなストレス解消に役立っているかと思うとやめるのは難しいねぇ。
昨夜は寝る前に大量の鼻血が出て、疲れているはずなのに4時半まで眠れなかった。鼻血はチョコのせい?眠れなかったのはコーラのカフェインのせい?コーラはサイダーに変更しようか?だめだこりゃ。
夕食は、まぐろフレーク丼(母)・カレーライス(私)・味噌汁。
2003年05月03日
日本一醜い介護日記 (-_-)
母を何度も起こすが、昼過ぎても起きようとしない。「このまま寝たきりになったら楽になる・・」ふと、そんなことまで思ってしまう始末。「いかん、いかん、寝たきりになっちゃいかんのだ!」母は午後2時にようやく起きて昼食。天気も良いのに外に出てこない。布団をトイレに押し込んだり、食べかけのご飯を湯のみに詰め込んでいたり、相変わらず。
私は荒れた庭の剪定。父が亡くなり、母が認知症で今までまともに管理されていなかった。「認知症のお母さんを介護しているのだから、庭や部屋が荒れていても仕方ないわね」誰もそんなことは言わないが、そうは言わせないぞ、という気持ちが少しあったりしたりして・・。
私は夕方まで庭いじりで、すっかり疲れ果てた。夕食も作る気がしない。そこで母を喜ばせようと寿司を買ってきた。最初こそ、喜んで食べていた母。最後の味噌汁の具を食べようとしない。「食べなよ」「だってこれは親戚が食べるんだよ」「もう皆食べたよ。それは自分の分だから食べてくれよ」「これはとっておかないと」「それは自分のだから食べてくれ」一向に食べない母・・。
本来ならここで諦めるのが得策だ。しかし、頭にきた私は、母の頭や顔までも叩く愚行に及んだ。まったくつまらないことなのに。母は悪くない。今の介護スタイルで母を面倒みるのは、もはや私には限界なようだ。少し母と離れる必要がある。
ここ数日、私は母に手を上げない日はない。こんな醜い介護日記は私だけだ。たくさんの方にリンクして頂いているが、こんな日記になってしまい申し訳ありません。。今一度、自分を立て直したいと思います。
夕食は、寿司・味噌汁。