aamall

2001年10月

2001年10月31日

ショートステイを決意するも・・ (-_-)

今朝、「今日は心臓の検査があるからね」「あたしはどこへも行かないよ!あんたにこれ以上指図されるのはまっぴらだ!もうやだやだ・・あたしは一人で生きて行く。お前はすぐに怒るし、お前のせいであたしがおかしくなったんだ・・家にいたって何も面白くないし、生きてる意味もない・・死んだほうがましだ・・」すこぶる機嫌が悪い。あらゆる言葉で私を罵倒する。昨夜は「明日は病院へ行く」と言っていたのに・・。

母の言う事は、ある意味当たっている。私が親にいちばん悪いと感じているのが、結婚して孫の顔を見せてやれないことだ。もし、それが実現できていたら、母は認知症にならなかったかもしれないし、生きる喜びを感じてくれただろう、と思えるからだ。今朝の母の発言は、単に朝機嫌が悪かっただけじゃない。母の根底にある正直な気持ちに違いない。今の状況で騙し騙し在宅で介護しても、衝突は避けられない。お互いを傷つけるだけじゃないか?毎日毎日、朝母をデイケアへ促すのは本当に苦労する。「今日は血液検査だよ」「今日は心臓の検査だよ」「今日はリハビリだよ」・・・あれやこれやと考えるも、母は朝、特に機嫌が悪く手に負えない時もしばしば。朝がとても憂鬱なのだ。

デイケアもこちらからキャンセルした。今朝の一件で私はもう嫌になってしまい、1ヶ月位のショートステイを決意した。ケアマネに連絡を取り、受け入れてくれる所がないか探してもらう。しばらくすると、2週間なら可能とのこと。その施設から連絡が入る。「今日か明日の午前中までに入所してください」とのこと。そこまでクイックには動けそうもない・・「努力します」と電話を切った。しかし、この施設の女性の態度が凄く悪い。その他にも話したが「忙しいのに・・仕方ないから入れてやる」ってな感じに受け取れる言い草だった。なんとも面倒くさそうな態度なのだ。実際にあの調子で会ったなら「なんだお前の態度は!」きっと怒り爆発したに違いない。私は父の入院の時から今まで、色々な態度の悪い奴と出会ってきている。もう黙っていないのだ。

しかし、ショートステイを利用するにも母を連れて行くのは至難の業だ。他に方法はないのか?・・母はデイケアで長時間拘束されるのが嫌でたまらないのだ。じゃぁ半日にしてもらったらいいかもしれない。そうだ、そうしよう!ということでショートステイはキャンセル。現在お世話になっている施設のソーシャルワーカーにその旨を伝えた。すると「朝嫌がる方は半日にしても一緒でしょう。院長とケアマネさんを含めて一度お話をしましょう。専門家を含めて話し合いをした上で、どうするか決めましょう」「わかりました・・」ごもっともで・・この前、徘徊で苦労していた時も相談して、主治医は母を改めて診察してくれ、処方を変えたりしてくれた。今回のように私が独断で決めるのは良くないことかも・・まずは相談が基本ということだ。

夕方、母は「転んで頭をぶった」と言ってきた。どこで転んだのかも定かでない。まったく、次から次へと・・。後頭部はタンコブもないし、血も出ていないから大丈夫のよう。(いや、今思ったが確かタンコブができた方が良いと聞いたことがあるような・・。明日にでも診てもらおう)母は元気がなく、抜け殻のようだ。ここまで状態が悪いのは久しぶりだ。去年も11月は状態が悪く、徘徊を繰り返した。食欲も少ない。とは言っても昨日買ったばかりの大きなパンは、すでに2個も」食べられている。せっかく着たパジャマを脱ぎ出し「なんで脱ぐ?」「家に帰る」「ここは自分の家だろう。ピーコもいるよ」「そうだったかいねぇ・・」「明日、病院で検査だからね」すると、突然「施設にでも預ければいいでしょう。そうすれば楽なんだろ?」何もかも捨てたような言い方をして、母は寝室に入って行った。何も言えなかった・・後味が悪い・・。あ〜、なんだか自分の頭もごちゃごちゃだ。気が変になりそうだ・・。
夕食は、いなり寿司(母)カレーライス(私)・味噌汁・ミニトマト。

2001年10月30日

デイケアから戻される (^^;

今朝、ようやく私の体調は回復してきた。3kgも体重が減っていたけど。多分、食当たり。今朝の母は「デイケアに行きたくない!」と機嫌が凄く悪かった。しまいに、こっちが頭にきてしまい「お前なんか施設に入れてやる!覚悟しとけ!」と背中をバチンと叩いてしまった。悪いが心底そう思った。案の定、施設の送迎から電話があり「どうしても言う事を聞いてくれません」てなわけで、今日はデイケアを休んでしまった。病気の意識がない人間に行かせるのには本当に苦労する。

話は変わって夕方。今日は母の顔も見たくなかったが台所に行くと、母が何やら作っていた。味噌汁とサツマイモの煮物だ。お互い今朝のことには触れず一緒に夕食を食べた。味噌汁(具は大根)を口にすると・・甘くてまずい!どうやら砂糖を入れたようだ。お世辞が嫌いな私は「これは甘すぎるなぁ」と一言。母は何も言わず食べていたが・・。味はともかく、これだけ作ったのは評価できると思う。気になったのが豆腐。豆腐の空パックがあるのに、豆腐を使った様子がないのだ。いったい豆腐はどこに?
夕食は、ピロシキ・サツマイモ煮・ご飯・味噌汁・サラダ。

2001年10月29日

母が味噌汁を作った! \(^O^)/

私は昨夜から体調が悪かった。今日、夕食を作れず横になっていた。19時半頃「ご飯ができたよ〜」母の声だ。台所へ行くと、びっくり!味噌汁が作ってあった。ダシをかつお節から取って作ったと言う。具は大根で味も良い。母の味噌汁なんて何年ぶりだろうか?
夕食は、コロッケ・焼き鳥・ご飯・味噌汁・ミニトマト。

2001年10月28日

親族の食事会 (/o\)

いとこの結婚の関係で両親族の食事会があった。午前中の母は夢遊病患者のようで、抜け殻のようだった。薬を飲んで効果が出たのか、午後からは復活。母の髪を染めてやった。久しぶりに会う親戚だったが、母は「どちらさまでしたか?」ってな具合で誰が誰やらわからない様子だった。ただその方も母が認知症だと知っているので適当に合わせてくれたが、寂しかったに違いない。
夕食は、いろいろ。

2001年10月27日

釣りざんまい (^^ゞ

母の状態が良いので珍しく昼から釣り。一旦、帰って夕食後にまた釣りに出かけた。釣果は約20cmのセイゴ1・ふぐ2・ゴンズイ1という悲しい結果に終わった。

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釣れなくても釣りを楽しむ^^

 夕食は、ぶりの煮物(母)・メンチカツ(私)・ご飯・卵スープ・にがり豆腐・ミニトマト。

2001年10月26日

母と回転寿司 (^-^)

夕食は、母と回転寿司に行ってきた。二人して食べ過ぎで行動不能・・。夜釣りも行きたいけど、睡魔に勝てそうもなく早く寝ることにしよう。
夕食は、回転寿司。

2001年10月25日

そろそろオムツか〜?・・ (´ヘ`;)

ここ数日の朝、母はパジャマと下着を洗っている。洗濯機を使えないので手で洗う。それを私が「なんでパジャマまで洗うんだ・・」とブツブツ言いながら洗濯機に放り込む。今朝もそのパターンだったので「なんでパジャマまで洗う?漏らした?」「汚しちゃった」てな具合。

実は父が亡くなってから、放屁が目立つようになっていた。もう所構わずって感じだ。それでも漏らすことはあまりなかったのだが・・。そろそろオムツが必用なのかなぁ?それと今朝も台所に砂糖をばら撒いた。ほんとに余計なことを・・。母は食後に出したサツマイモを食べながら「おいしい、このミカン」「ミカンじゃないだろ・・」思わず笑ってしまった。
夕食は、マーボー春雨・ご飯・味噌汁・大根煮・サラダ・サツマイモ。

2001年10月24日

凄い食欲・・ (^^;

母は食欲旺盛で、かなりの量をたいらげた。日記も書かせることに成功した。それと、ミニトマトが160個も収穫できた。母も喜んでいる。
夕食は、焼き鮭・厚焼き卵・ご飯・味噌汁・カボチャ煮・大根煮・サラダ。

2001年10月23日

母良好 (^^)

昨日ほどじゃないが、母は良好。夕食の準備・・「母に手伝わせなきゃ」と思いながらも、結局自分がやってしまう。母が風呂に入っているうちに、夕食を整える手はずだ。余裕がないというか、怠慢か・・。しかし、大根煮が夕食に間に合わず、夕食後に母に味付けをしてもらった。う〜ん、ちょっと甘すぎるぞ?まぁ、いいや明日に持ち越し。今日も母は日記を書いてくれた。
夕食は、カレーライス・ご飯・味噌汁・サラダ・パイナップル。

2001年10月22日

奇跡か幻か? \(^O^)/

「ご飯ができたよ〜!」これは母の声である。「はぁ?」夕食はこれから用意するというのに・・。台所に行くと、何やら母が作っている。聞くとデイケアで菜園をやっているらしく、カボチャとサツマイモをもらってきたそうだ。サツマイモを潰し、砂糖を入れ、乱切りにしたカボチャと煮たのである。食べてみると、おいしい!しかも、冷蔵庫にあった味噌汁を温めてあった。これは驚いた!

今まで母は、たまに料理をしようとしたことはあった。でも、必ず失敗していた。火元を離れるから、煮過ぎ焼き過ぎになるのだ。しかし、今回は見事に成功している。数年ぶりの母の料理であった。メインディッシュまでは用意できていなかったけど。材料さえ見つければ、できそうな感じだった。私は母から炊事を奪ってしまったが、少しでも参加させた方が良いに違いない。

母が混乱している時は「頭の中がクシャクシャしている」と表現する。そして突如として「あたし、もう大丈夫だからね。心配かけたね。」とか言って、今までの自分を謝るようなことを言い出すこともある。これは今まで何回もあったことだ。この前、介護仲間の方からメールを頂いた。その方も同じような体験をしている。頭の中が混乱している時と、クリアな時を本人が自覚しているのだ。

今日の母は、頭の中がクリアな状態だと思う。「頭の中はどんな感じ?」思い切って聞いてみると「はっきりしている。もう治った」と!寝巻きもちゃんと用意できた。しばらく中断していた日記を持ってくると、日付こそ戸惑ったものの、書いている。話もしっかりしている。これほど良い状態は珍しい。この状態を維持できればいいなぁ。
夕食は、餃子・カボチャとサツマイモの煮物・ご飯・味噌汁・サラダ。

2001年10月21日

お父さんはどこ? (/o\)

夕方、母は何か不穏な雰囲気。「お父さんはどこ行った?」「・・・」「なんでいない?」「もうすぐ亡くなって3年になるじゃないか」こればかりは嘘はつけないな・・。夕食を食べる頃にはかなり回復したが、何回も同じことを聞いてくるのには参った。夕食は、昨夜釣った魚を調理した。

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夕食は、フッコ塩焼き&刺身(母)・コロッケ(私)・ご飯・味噌汁・サラダ。

2001年10月20日

深夜のセンサーアラーム (Θ.Θ)

午前3時頃、センサーのアラームが鳴った。「また徘徊か?」外を見ると野良猫。ホッとしてまた眠りについた。朝の母は少し不安定。そのうち回復。

夕食後、懲りもせず太田川河口へ釣行し、大物ゲット!40cmのフッコ(スズキの幼魚)!

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夕食は、カキフライ・ご飯・味噌汁・サラダ。

2001年10月19日

靴下の色を揃える (^^)

これまで母の靴下は、けっこう買っている。しかし、いつの間にか数は少なくなり、セットで揃うことはマレである。もう探す気にもなれないので、また買ってきた。同色で3セット。

太田川河口へ釣行したが、ゴンズイ2匹に終わった。ルアーも試したが釣果なし。
夕食は、さば煮(母)・ご飯・味噌汁・サラダ。おにぎり(私)。

2001年10月18日

徘徊阻止 (Θ.Θ)

昨夜は喧嘩の後、22時過ぎに母は用意していたおにぎりを食べていた。お互い喧嘩のことには触れず、母は食べてから就寝。そして4時半頃、センサーが反応しアラームが鳴った。見ると、母が外でライトに照らし出されていた。「あいつが全部持って行っただよ!ほんとに悪い奴だ!あのジジイ!」なにやら被害妄想。興奮している母を家に入れると「これもあいつが散らかしたんだ。あたしがやるわけがない!」「やったのは、あんただよ!」などと内心思いながらも「誰も入っていないし、何もとられていない。安心してくれ」なんとかなだめて、また寝てもらった。なんでいきなり、あんなになってしまうのか?

今日の夕方、母は「病院(デイケア)に行きたくない」などと繰り返し言い出した。話をそらそうとしてもダメ。昨日危なかったことを言うと「何も覚えていない」と言う。昨日の出来事を説明し、心臓が悪いことを教えて色々と説明した。しばらく考え「そうか、行く理由がわかった」と納得したようだ。そうか、これからは「心臓が悪いから」と諭した方が良さそうだ。
夕食は、さば煮(母)・コロッケ(私)・ネギとピーマンの味噌炒め・ご飯・味噌汁・サラダ。

2001年10月17日

病院からの電話 (゚0゚)

昼過ぎに病院から電話「お母さんが軽い心筋梗塞です。今、検査中ですが場合によっては入院が必要です。今のところ命に別状はありませんが病院へ来てください」とのこと。 病院へ駆けつけ様子を伺う。歌を歌っている時に「背中が痛い、心臓が締め付けられる」と訴えたそうである。脳波・CT・血液検査を行い、薬の処方で母は回復した。検査の結果、入院の必要はなく薬を処方してもらい無事帰宅できた。以前も夜中に「背中が痛い!」と救急車を呼んで入院したことがあったが、その時と似た症状のようだ。母にもしものことがあれば、きっと心筋梗塞になることだろう。ひょっとしたら、もう長くないかもしれない。焦る・・。

そして夕方、こともあろうに、こんな日に母と衝突。夕食の準備をしようと、まな板を探すもどこにもない。「何を探している?」「まな板だよ・・」やっとのことで探し出したがイライラしてしまい「こんな所に入れないでくれ」この一言がまずかった。「なんだ、その言い方は!」やけに威勢よく言われてしまい、こちらも頭にきた。

実は朝から母は、台所で砂糖をぶちまけた。これで保管していた砂糖3袋、全て開封されてしまった。この時は頭にきながらも我慢したが・・。「とにかく余計なことをしないでくれ!こっちだって頭にくるんだ!迷惑かけないでくれ!」「あたしが何を迷惑をかけたんだ?」「たくさんあり過ぎる。迷子になってパトカーに何回も保護されてるじゃないか」「あたしゃ覚えてないよ!」「覚えてなきゃいいのか?大迷惑だよ」「あーそうかい、勝手にしろ!あたしゃ一人で生きて行く!も~うたくさんだ!」「勝手にしろよ、クソババァ!」

売り言葉に買い言葉か、もう泥沼。「何も言う事を聞かないし、死んでも仕方ないや」内心そう思った。なんとも後味悪いが、不毛の喧嘩を避けることができなかった・・。今夜は要注意だ。
夕食は、作る気が失せ私はコンビニ弁当。母にはおにぎりを用意。

2001年10月16日

気管支炎? (・_・)

母は微熱があり、デイケアで診察を受けた。気管支炎とのことだ。ちょっと心配だ。しかし、昨晩作った蒸したさつまいも。夕食前にはすでに食べられていた。いったい、いつ食べているのか?これだけ食欲もあれば、微熱も吹っ飛びそうなもんだ。

夕食に急に回転寿司が食べたくなって、母と一緒に食べに行った。近所にかなり大きい100円寿司があるのだ。でも、ここはいつも混んでいて、順番待ちのことが多い。順番待ちが嫌いな私は、あえて避けていたので今回が初めて。運良くすぐ席に付けた。値段の割にかなりおいしくて、順番待ちができるのも納得。母も「おいしい!」を連発。二人で23皿と味噌汁を食べた。食べるペースは遅いが母も10皿近く食べたのではないだろうか。たまには連れて行ってあげよう。
夕食は、回転寿司。

2001年10月15日

限界点 (・_・)

これは昨日のこと。風呂上りに母は「広い風呂ですね」「おいおい勘弁してくれよ。よく見てくれ、自分の家じゃないか!」「そうかね?」それ以上は突っ込まなかったが、なんとも空しい一瞬。私を認識できているかも怪しい。私の家庭環境からすると、在宅介護の限界点は早く訪れる。体に障害を負うか、寝たきりになった時か。もうひとつあった。家族の認識が全くできなくなった時。こうなると、誰が世話しても同じかとも思えてしまう。これは私も恐れていること。昨年11月に私が誰かわからなくなった。この時のショックは大きかった。その後、母はしばらく昇降状態が続き、今年はほぼ家族の認識ができている。今日は大丈夫のようだ。

夕食時、テレビで寅さんの「男はつらいよ」」をやっていた。観てくれるんじゃないか、と母の様子を伺ったが母は無関心。逆に私が嵌ってしまった。昨夜は、動物が登場するテレビに珍しく声を上げて笑っていた。母が興味を示すテレビは、動物物・クイズ・ニュースのようだ。
夕食は、チキンハンバーグ(母)・ひれかつ(私)・ご飯・味噌汁・サラダ・大根煮・さつまいも。

2001年10月14日

家庭菜園 (^^)

荒れ果てた家庭菜園を復活させようと手入れをした。しかし、台風で傾いたり倒れたまま成長したミニトマトの木は、縦横無尽に伸びてしまい収拾がつかない。あれやこれやとミニトマトの木と格闘して終わってしまった。来年はもっと後のことまで考えて色々と工夫してみよう。しかし、連作はよくないようで、困ったな。ここ数日で軽く100個を超える収穫で嬉しい限り。まだどんどん成長していて勢いは衰えない。いったいいつまで収穫できるのだろう?母は相変わらず庭掃除、あの体力はいったいどこから?自分はすぐに疲れるのに・・。
夕食は、餃子・ご飯・味噌汁・サラダ。

2001年10月13日

歯医者 (^^)

午前中「午後2時頃に歯医者に行くからね」「なんであたしが行かにゃならん?」「先週も行ったじゃないか」「覚えてないねー」まぁこんな調子である。その後、センサーが反応した。1人で出て行こうとする。「まだ時間じゃないっての」これを何回も繰り返す始末。歯医者も今日で完了して良かった。

また奥浜名湖へ夜釣りに行ったが、小さなセイゴ3匹に終わった。
夕食は、さば煮(母)・ご飯・味噌汁・サラダ・コンビニおにぎり(私)。

2001年10月12日

あ〜・・ (-_-;)

母は日が暮れて真っ暗の中、庭掃除をしている。あの暗さで目が見える?それから、保管してあった砂糖の袋を次から次へと開けてしまう。ここで怒ると厄介なので我慢するが、ほんとに勘弁して欲しい。食事は、私が席を離れると別のことをやりはじめる。どうでもいいことやってないで食べてくれっての。

食後、車で10分位の近くの外海に釣りに行ってきた。この前、購入した5,3mの磯竿でルアーを投げたらどうなるか試してみたかったのだ。やはり長過ぎるし、重過ぎる・・。ルアーの竿でやった方が良さそうだ。砂浜で1人でやるのは、なんだか怖い。ザザ~ンッという波の音も、なにやら怖い。30分位でやめて帰ってきた。
夕食は、冷奴・焼き鳥・ご飯・味噌汁・サラダ・大根煮。

2001年10月11日

昨日のことは触れない (・_・)

母はまずまずの調子。昨夜の喧嘩のこともお互い、一切触れない。もっとも、母は忘れているかもしれないが。でも、意識している可能性も十分にある。何かあっても、翌日まで引きずらないのは大切だ。元々つまんないことだから。昨夜、母は夕食を食べなかったので、同じメニューである。

さて、もはや放置状態にある家庭菜園だが、ミニトマトはまだ収穫がある。今日は約50個も収穫できた。元々ミニトマトの木も多いのだが、こんなに収穫できるとは思わなかった。まだまだ当分の間は収穫できそうだ。台風で木は倒れ、余分な枝を摘むことも、草取りもしないで放置した畑は悲惨な状態。足を踏み入れるのもままならない。収穫も大変になってしまった。
夕食は、マーボ春雨・ご飯・味噌汁・サラダ・大根煮・カレーライス(私)

2001年10月10日

ささいなこと (-_-)

仏壇に上げたお供えを、母が数分で下ろすことに腹が立って怒鳴ってしまった。母も逆上し、寝室に閉じこもった。つい怒鳴ってしまったのも、その前に色々と伏線があった。母の寝室はメチャクチャだし、台所の椅子が居間にあったり、その他色々な物が移動されてカッカしていたのだ。家の中が混乱して収拾がつかない。母は私を非難するばかりで、自分の非は一切認めない。納得できん・・。
夕食は、マーボ春雨・ご飯・味噌汁・サラダ・大根煮。

2001年10月09日

今日も・・ (^^;

母は「ピーコがいない!」と、パニックになっていた。見ると、ピーコは母のすぐ後を付いて歩いている・・。この前のピーコの失踪が、母にどれだけの精神的ショックを与えていたか、改めて伺い知れる。ピーコに鈴の付いた首輪でも付けようかな。でも、以前も付けたが、母はすぐに外してしまう。

深夜にNHKで「いのちの言葉」というドキュメンタリーを見た。ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病になったご主人と、その家族の記録である。一見、失礼だが植物人間のようだ。しかし、脳波で会話ができる装置があって、意思を伝えることができる。この番組が訴えるメッセージは、とても奥深い。再放送であったが、こういう番組をゴールデンタイムにでもやって欲しいものだ。それができるのは視聴率に過敏にならなくていいNHKしかない。チープなドラマ・娯楽番組よりも放送する意味合いは大きいのだ。ALSは、原因不明の神経難病で、全国におよそ5000人の患者がいるそうだ。治療法は現在見つかっていないという。
夕食は、さば煮(母)・メンチカツ(私)・味噌汁・サラダ・さつまいも。

2001年10月08日

後遺症 (^^;

ピーコの失踪の後遺症か、母は「ピーコがいない、捜しに行く」と、家を出て行こうとした。実はその時、ピーコは縁側で寝ていたのだが・・。
夕食は、チャーハン・味噌汁・カステラ。

2001年10月07日

釣り馬鹿 (^^ゞ

またまた私は夜釣りに出かけてしまった。思いもかけない魚が釣れたので、びっくり!もちろんリリース。

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夕食は、白身魚フライ(母)・ご飯・卵スープ・大根煮・おにぎり(私)。

2001年10月06日

歯医者へ (・_・)

母の調子はまずまず。母は相変わらず庭掃除に専念。あまりに枯草が溜まっていたので、自分も手伝い焼却。そして母を歯医者に連れて行った。差し歯があるのだが、すぐに抜けてしまい、その抜けた差し歯を母が紛失する、というパターンが短期間に続いていた。抜けてから数ヶ月経っている。知っていたが、つい遅くなってしまった。

夕食は、昨夜釣った25cmのセイゴの塩焼き。「気持ち悪いな、ちきしょ~・・」と、さばいた。不慣れながらも塩焼きは、うまくできた。母のおかずなのだ。母は食べると「おいしい!」と喜んだ。私も、どれどれと食べてみると、実にうまい!「また釣ってくるのだ!」

急に釣りに行きたくなって、すぐさま家を飛び出してしまった。残念ながら釣果は、最大20cmのセイゴ4匹に終わった。25cm以下はリリースと決めているので、持ち帰りはなし。実は餌代が1000円なので、魚屋でセイゴを買ってきた方が安上がりだったりする・・。

夜釣りの帰り道、ヨタヨタと歩いているお婆さんを発見。気になりながらも通り過ぎてしまった。が!「深夜1時半というのに、お婆さんが歩いているなんておかしいじゃないか?徘徊かもしれない。でも早く帰りたい・・。

いつも母が他人にお世話になっているじゃないか!見過ごすのか?それでいいのか?と自問自答。しばらく走ってUターン。お婆さんを発見・・しかし、よく見るとオッサンだった!「なんだよ・・」どうやら問題なさそうなので帰宅した。

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夕食は、セイゴの塩焼き(母)・冷奴・ご飯・味噌汁・大根煮・リンゴ・おにぎり(私)。

2001年10月05日

特養入所可能 (・_・)

また特養から入所可能との連絡があった。「まだ家で面倒をみてあげたい」と見送った。移転新築だから、条件的にはいいのかもしれないが。今のところ、家族の認識もできるし。母を面倒みれなくなるのは、寝たきりになった時かもしれない。どこまで在宅で可能かは、実際にやってみないとわからない。近所のお婆さんが「施設に入れてしまいなさい。あなたが潰れちゃうよ」と、言ってきた。心配してくださってのことだが、そう簡単には・・。

夕食を済まし、奥浜名湖へ夜釣りに行った。最大25cmのセイゴ6匹であった。大きなアタリもなく、ちょっと寂しかった。まぁ、25cmなら塩焼きに十分なので持ち帰り。
夕食は、さば照り焼き(母)・冷奴・ご飯・味噌汁・サラダ・大根煮・リンゴ。

2001年10月04日

ピーコ帰宅! \(^O^)/

昨夜もピーコを捜したが見つからなかった。そして、今朝4時と6時頃にセンサーが反応し、アラームが鳴った。「徘徊か!?」と外を見ると誰もいないが、一瞬黒い影が。どうやら猫のようで「ピーコだったらいいなぁ」と思って寝た。

そして、ついにピーコが帰ってきた!実に4日ぶり。失踪中に大雨が降ったにもかかわらず、汚れていない。どうやら誰かの家にお邪魔?していたような気がする。母は大喜びだった。これで家も丸く治まるだろう。とにかく一安心だ。ピーコは、そんな心配もよそに眠っている。

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夕食は、さば煮(母)・ハンバーグ(私)・ご飯・味噌汁・サラダ。

2001年10月03日

ため息・・ (-_-)

母の動作があまりに間抜けなのにイライラして衝突。母は「ご飯なんかいらん!」と言って寝室に閉じこもった。もう勝手にしてくれ。家が落ち着くまで、少し時間がかかりそうだ。
夕食は、さば煮(母)・ひれかつ(私)・ご飯・味噌汁・サラダ・サツマイモ(うまいことできた)。

2001年10月02日

また徘徊・・疲れた (-_-#)

今朝6時前、近所のお婆さんが駆け込んできた。「M子さんが、南の方へ歩いて行っちゃったよ!あたしは寒かったもんで、着替えているうちに見失っちゃった」すぐに捜しに行きたいのに、大声でわいわい話し続ける・・。「わかったから静かにしてくれ、近所迷惑だ」などと、立場を忘れて心の中で思ったりしてしまう。もはや我家自体が近所迷惑なのに。

トイレに行ってから外に出ると、お婆さんは既にいなかった。近所を捜して見当たらず、帰ってくると、お婆さんが母を連れてきてくれた。母は寝巻きのままで、脇に新聞を抱えていた。 徘徊に行く時、センサーは反応しているはずだ。そして駆け込んできたお婆さんや、捜しに行く私にもセンサーが鳴っているのに兄は出てこない。だんだん腹が立ってきてしまった。

昨夜、ピーコを捜しに行ったが見つからずに帰ってくると、母は寝巻きを汚して庭掃除をしているし・・。母の徘徊がピーコの行方不明を誘い、ピーコの行方不明が母を不安定にし、徘徊させる。もう何もかも嫌になって投げ出したくなってしまう。 母にはピーコを諦めるように言っておいた。このまま「帰ってくるから」などと言っても、また1人で捜しに行ってしまうかもしれないからだ。個人的には、まだ諦めていないのだが・・。今日も探してみたが見つからなかった・・。しかし、ピーコの行方不明が母をとても不安定にさせている。

私もなんだかんだで疲れてしまい、ストレスが溜まっている。夕食中、母は不注意で味噌汁を床にぶちまけた。腹が立って「何やってんだ、馬鹿野郎!」母のやけどを気遣う優しさもない。次から次と問題を起こし、家を混乱に陥れる母に我慢できない。母は「あーあたしは馬鹿だよ!出て行く!」と言って寝室に閉じこもってしまった。泥沼だ!!

徘徊防止策として、また赤外線センサーを付けた。前回のセンサーは、配線不要の無線方式だが、自分の部屋まで無線が飛ばなかったので、兄の部屋に。今度のは有線で、自分の部屋まで配線した。無闇に反応しないように前回と同じく外に付けて、ライトも点灯する。しかしながら、少し誤作動が・・。

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夕食は、餃子・ご飯・味噌汁・サラダ。

2001年10月01日

今度はピーコが行方不明 (T-T)

愛猫のピーコが行方不明。恐らく、日曜日に母が徘徊した時に一緒について行ったのだと思う。母も凄く心配していて、ちょっとまずい。ピーコは、雨でもズブ濡れになって帰ってきたことはない。どこかで雨宿りをしているのらいいが・・。参ったなぁ、無事でいて欲しい。
夕食は、コロッケ・栗ご飯・味噌汁・サラダ。
プロフィール
はじめまして!Tomy(S39年生まれ・男)です。認知症の母(昭和2年生まれ)を在宅介護(2人家族)しています。当初はレビー小体型認知症で、進行した結果、レビー小体型認知症・アルツハイマー型認知症・脳血管性認知症の混合型に至ったようです。家族が認知症になったら、どうしたら良いのでしょうか?今後、どのようなことが起こり得るのでしょうか?認知症介護の問題に直面している方を応援しています。

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